東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

下手から上手いへの変身

禅のこぼれ話をひとつ・・・・・・

 

 禅のお寺のことを 禅林というが、その禅林には 禅画と言って、禅宗の教義や精神を表現した絵画の伝統が今なお存在している。 

 

 そのような禅寺の禅師のもとで、禅画を習っているひとりの弟子がいた。 この弟子は竹に取り憑かれていて、絶えず竹の絵ばかりを描いていた。 禅では、絵を描くとはいうもののそれを通じて学ぶのは、禅那、すなわち瞑想のことである。 

 

 あるとき禅師がその弟子に言った お前自身が一本の竹にならない限り、何ごとも起こりはしないだろう・・・・・・と。 

 

 それから十年の間、竹を描きつづけ、その弟子は暗闇の中で眼を閉じていても描けるほど完璧にその技量は熟達していた。 絵を描く術は完璧で 上手いということに異論を差し挟むことは誰もできないほどだった。 

 

 ところが、師はそれを是とせず、決まってこう言った 下手クソ! お前自身が一本の竹にならない限り、どうやって竹が描けよう? お前は竹と分かれたままだ。 お前は傍観者、ただの見物人でしかない、お前は確かに竹を知ることが出来たかもしれないが、それは外側からだ。 それは外周にすぎない。 それは竹の魂ではない、お前自身が一本の竹にならない限り、どうやって竹を内側から知ることができよう・・・・・・?

 

 このように弟子は十年も苦闘したのに師は認めようとはしなかった。 それからこの弟子は、竹林の奥深くに消えていった・・・・・・ それから三年というもの、この弟子については何も聞かれなかった。

 

 が、そんなある日のこと、その弟子が一本の竹になったという話が伝えられてきた。 もうその弟子は絵を描いていなかった、竹たちと暮らしていた、竹たちと共に立っていた。 そこは風がわたり、竹はそよぎ、踊っている・・・・・・と、その弟子もまたそよぎ、踊っている・・・・・・。

 

 その弟子の師である禅師が様子を見に行ってみると、確かにあの時の弟子は一本の竹になっていた。 そこで師は言った 今度は竹のことも自分のことも忘れてしまえ!

 

 それを聞いたその弟子は言う ですが、竹になれとおっしゃったのはあなたです。 だから私は竹になったのです。」 

 

 師は言った もうそのことも忘れるのだ。 何故なら今では唯一お前にとってそれが邪魔をしているからだ。 お前の内部のどこか深いところで、お前はまだ分かたれたままになっている。 そしてここで、自分が竹になったことを憶えている・・・・・・だからお前はまだ完全な竹ではない。 竹であるならそんなことは憶えていないはずだ。 だから忘れてしまうことだ!

 

 それからさらに十年の間、竹の話は一切為されなかった。 と或る日、師はその弟子を呼んでこう言った。 さあ描いてみよ。 まず竹になるがいい・・・・・・、それからその竹のことを忘れるのだ。 竹として完璧な竹になることで、その絵が単なる絵ではなく、お前の成長となるように!

 

 さて、このように禅弟子に完璧な竹が起こるときには・・・・・・ 人間と竹の間に 私がいないということが起きるときには、自分も消え失せる。 それから突如として弟子は、変身することができる! 

 

 実存主義を唱えたジャンポール・サルトルがどこかで言っている 他者こそが地獄だ、と・・・・・・ しかし、彼は絶対に間違っている。 本当のことを言うと、他者は決して地獄などではありはしない。 他者が他者であるのは、自分が自我であるからだ! もし私自身がいなかったら、自分自身も消え失せてしまったなら、他者も地獄も消えてしまう。

 

 この竹を描く禅弟子のように自分自身を忘れることができたなら、下手クソ!から 上手い!に変身することが可能なのである。

 

 

2016年春季フォーラムは4月29日(金)開催です。

テーマは「上手い下手について」