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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

演技の上手い下手

日下和夫(くさかかずお)

 人は誰でも病気をする・・・・・・ そこで一つ提案がある。 健康なときにその健全さを感じとっておき、それを健康でないとき、病気のときに持って歩くというのはどうだろう。  その健全さというのは健康に依存するものではない。 健全な感覚というのは内的な感覚のことであり、肉体に依存しているものではない。 だからそれは、たとえ病気をしていても持って歩けるものなのだ。 

 

 このように、たとえからだが重病であっても、内側の健全さは保つことができるのである。 これとは逆の場合もある、それは完全に健康であるにもかかわらず不健康でいることがあるということだ。 完全に健康で若く元気なのに惨めでいる。 生きるということ全体を重荷のように、胸にのしかかる重みのように運んでいる。 そんな若者も決して少なくない。

 

 なぜ惨めになるのか? それは陰と陽の対極を合成しようとしたからである。 だから決して対極を合成しようとしてはならない、ただ融和の状態で在るべきだ。 そうすれば、ものごとはひとりでに自然に落ち着いてくる。 自分で落ち着かせる必要はない。 ただ自分自身を落ち着かせるだけでいい。 まず自分自身が落ち着けば、そうすればものごとは、それぞれ独自の配置の中に治まっていく。

 

 それには対極の反対のものの中に調和を見出そうとしてはならない、そんなものは決して見つかるはずがない。 見出そうと試みすぎたら、ますますかき乱されるだけだ。 そんなことは不可能なのだから! 実際の話、人の生きる社会というのはすべて病的な世界である。 まるで精神病院の中で暮らすのを強制されているような生活をしているように見える。

 

 だからそれは確かに難しい。 まわりは誰もかれもすべて狂人なのだから・・・・・・。 そうなると、自分に一体何ができるというのだろう? 精神病院ではほかの誰もが狂っている、ならば、どうしたらいい? そこでの唯一賢いやり方は自分が狂ったような演技をすることだ。 そうすれば誰もが自分のことを正気だと知られることはない。 なぜならもし知られたら、狂人たちはトラブルを引き起こすだろうからだ。

 

 精神病院の中では、本当に賢い人はそこにいる狂人たちより以上に狂った振る舞いを、そう、上手い演技をしている。 それがそこにおける唯一安全な状態なのだ! だから、社会の中で、まわりの誰もが狂っている中で、自分に一体何ができるというのか? この地球全体が広大なる精神病院だといってもいい。 あらゆる人々が病的で、病んでいて、どこかおかしくて異常になっている。 

 

 だったら自分に何ができる? それこそ演技しかないのだ! 下手な演技では駄目だ、上手い演技が必要だ。 人々の中にあっては自分の感じるままに演技すればいい。 不必要なトラブルを起こそうとしてはならない。 ただ演じて、それを楽しむことである。 それが人々とともに在るときにすることであり、自分自身のためには、感じること、そして、いつも快適感覚に溢れているのがいい。

 

 

2016年春季フォーラムは4月29日(金)開催です。

テーマは「上手い下手について」