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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自信。

友松 誠(ともまつ まこと)

おはようございます。

昨日の最後に、自己本質の善美を信じ、という言葉を使いましたが、これは橋本敬三先生の文章の中の言葉を引用させていただいたものです。文章ですから、この言葉の前も
あり後もあり、文節として以下の様になっています。

 【 自分の失敗にこだわるよりも、本質の自分を信ずる方が勇気づけられる。キリストは「汝ら恐るるなかれ、我れすでに世に勝てり」と言った。自己本質の善美を信ずるほど、現象の自分には懺悔と謙虚を覚えるはずであり、そこに向上があると思う。 】

 スポーツでも仕事でもプレッシャーによって、本来の能力、上手さが引き出せない人もいる。自分自身に自信を持つことは大切だと思います。

その自信も、相対的な自信ではなく絶対的な自信を持つ。つまり、どれだけ練習したから、どれだけ遅くまでやったから、という量や時間を裏打ちとする相対的なものではなく、絶対的な自信を持つということ。

 

これだけツライ練習を続けてきたのだから、上手くいかないはずがない。そういった自信も必要かもしれない。しかし、それが上手いにつながるかといったら、そうなるとは限らない。そうならないどころか、無理がたたってからだを壊し、本番を迎える事すら出来なくなる可能性もあります。

 

相対的ではない絶対的な自信。では絶対的な自信とは。それは橋本先生の文章にあるような本質の自分を信じる事なのだと思います。では本質の自分とは。それは神人合一の生命観にあるのだと思います。物体としての自分、自我としての自分ではなく、神仏にイノチをいただき、神仏と偕に在る自分自身という捉え方。これは絶対的なのだと思います。

 

しかし、その絶対的自信に胡坐をかいてしまうというのも良くない。努力しなくて神頼み、というのではないのだ。努力した上で、あくまで謙虚に、すべてやることはやらせていただきました、あとは(結果はどうあれ)おまかせいたします、という心持。

結果も、神仏や太極といった絶対的なモノの意志であるなら、有り難く受け止めるしかないではないですか。結果は良くても悪くても、それは絶対的なモノの愛だということ。

 

良ければ、素直に喜び、更に善くするようにしていく。悪ければ、自分の至らなさを懺悔し、悔い改めて善くしていく。その時の結果はどうあれ、必ず向上があるという事であり、どちらも愛という捉え方、潔さ。そういった裏打ちがあっての自信。物事が上手くいくには大切な事なのでは、と思います。


2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!