かんじるものは、かんじるもの。
感性を磨こうとするには、まず「からだ」を知ってもらいたい。
漠然と「からだ」といっても、色々とらえかたはあるだろうが、
息ある「からだ」は、日常の欲望や生活習慣では、縛られない。
然り、わかってしまえば、わかる。
色々な捉えかたも、その意識により生じているだけなんだ・・・と。
命の循環、営みと共に、動的均衡する恒常性も感じつつ、
共に、無理しない、肯定する、素直に受けとる循環を意識で学ぶ。
朴訥、実直、素直でいられる覚悟に、ますます感性も輝く。
認めたいから見ているだけじゃなくて、
認めたくないこともとりあえず受けとる。
そうなると「からだ」から、自分を観てくれていたんだ・・・と、
「からだ」からホントの自分を認識することもある。
意識による接しかたで、「ホントの自分」との出会いは始まる。
変わらないために、変わりつづけるホントの自分を受け入れる。
それは、「からだ」を通した変化の伝播、組織の改革の根幹。
そう、自分自身と共に、呼吸は常に相関し、生きている。
改革の主人公、自ら進んで変わる強い覚悟をイノチに学ぶ。
イノチある自分自身は、今も、生まれる前の存在なのだから、
呼吸し理解できることに無理は生じることもなく、必然なのだ。