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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

感性と知性。

友松 誠(ともまつ まこと)

おはようございます。

 

知性とは、物事を知り、考え、判断する能力のことで、比較、抽象、概念化、判断、推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまで作り上げる能力。

感性とは、物事を直感的に感じ取る能力のことで、これは言語では表現しづらく、実感、体感、共感するしかないと言われます。

 

知性は合理性、論理性を優先する。だから記号や言語でまとめやすい。しかし、感性の方は多義的でまとめづらい。そのような特性があるといいます。

社会生活を営む上では、ある程度の知性や知能、知識といったものが無ければならないし、何か契約を結ぶときなどでも、書類を見て内容を把握できなければどうにもなりません。知性的で知能も高く、知識も豊富な人というのは色々と重宝され、社会的ステータスが高くなるのも頷けます。

しかし、そのステータスも知性や知能、知識といったものだけでは、高くはならないし、保てないと思います。やはり、場の雰囲気がわかるとか、他の人に共感する、実感としてその人の気持ちがわかる、体感する、といった感性が土台にあったればこそだと思います。

 

感性が土台にあっての知性であり、これが逆になって感性が蔑ろにされると上手くないと思います。特に知性が合理的思考とばかり手を組んでしまい、感じ取る能力を隅に追いやっている状態では、環境(自然、人為、社会)の変化に上手く対応できないとか、からだとのアンバランスを感じとれない、ということにつながってしまいます。それでは仕事や生活に支障をきたすとか、何らかの病気の発症原因ともなります。

また、合理的思考ばかりの人というのは、からだを自分の道具のようにしか考えていないという傾向があります。自分勝手に使うだけ使って壊れたら直してもらえばいい、そんな考えがすり込まれているようにも思えます。

しかし、からだは自分の道具ではないのです。自分が生きる為に大自然からお借りしているものなんです。だから、自分がこの世を去る時には、大自然にお返しして旅立つわけですね。大自然からお借りしているものですから、ちっぽけで勝手な自分の合理性などに向いていないのです。

からだは自然の摂理に向き、そして自分に合わせてくれているんですね。それを自分の合理性に合わせようとすると、アンバランスとなり、そのアンバランスはストレスにつうじ、ストレスが積み重なれば、何らかの病気になってしまいます。

 

この世で存在するには、からだがなければ存在できないのです。知性だけでは存在は成り立ちません。感性が土台にあっての知性であり、それを包み込んでいるのは大自然の理であり、大自然の理から感性にもたらされるのが直感や閃きと呼ばれるものであり、だから名人達人の域に達している人というのは直感の方が間違いない、と言われるのではないかと思います。

そして、そのような人たちの言葉には重みや愛、ヒビキがあります。それは自然の理からもたらされるものを直感として感性で受け取り、知性につなげるという繰り返しにより、理性という橋渡しがしっかりできているからなのでは、と思います。

その橋渡しをしっかりさせるには、自分は生かされて生きている、という事を識っていくことからはじまるのだと思います。

 

 

2016年11月23日(水)勤労感謝の日

秋季東京操体フォーラム開催!

今季のテーマは「膝と進化した操体」です