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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

感性と知性・・・2。

おはようございます。

 

知性とは、物事を知り、考え、判断する能力のことで、比較、抽象、概念化、判断、推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまで作り上げる能力。

感性とは、物事を直感的に感じ取る能力のことで、これは言語では表現しづらく、実感、体感、共感するしかないと言われます。

 

感性の直感的に感じとる能力を突き詰めていけば、快、不快の識別を感じ分ける能力、つまり原始感覚に行きつくのではないでしょうか。しかし、ここで識別とすると、上に挙げた知性の意味とこんがらがると思います。ですが、それは頭の思考だけで考えるから矛盾があると思うわけであり、ここでからだと偕にあるという想いを向けてみると、矛盾はないと思えてくるのです。

からだにも人格やパーソナリティといったものが在るという事。原始感覚というのはきわめて生物的、生命的、自然的能力であり、自分が持っているのではなく、自分のからだがもっている能力なのです。

ですから、操体臨床の第2分析である快をききわける動診も、「からだにききわけて」という言葉かけが、重要となっているのです。

 

原始感覚から直感へ、そして感性へ。この快、不快からの流れの中に、からだからのメッセージ、あるいはからだが受け取ったメッセージがあると思います。感性の鋭い人というのは、このメッセージの受け取り方が上手いのではないでしょうか。

どのように快なのか、不快なのか、そしてそのおくに在るもの。これがからだとのコミュニケーションが密になるほど、明快さが増していき、表現力も増すのではないかと思います。

音楽のメロディーにしろ、絵画にしろ、必ず題名がありますが、これもメッセージをそのように受け取っているからなのではないでしょうか。それを、それぞれの分野での学びから得た知性や知識と融合させて、愉しみのなかで作品に仕上げていく。

そして知性というのは、感性によって変化するものなのだと思います。ピカソにしても、はじめはベーシックな画法を学び、ベ―シックな絵を描いていたようですが、ガラっと画風が変わりました。あれは感性からの進化ではないかと思います。

 

感性から考えると、からだや、からだという存在を成立させているこの空間にも、生かされているという事を改めて感じさせられます。過去→現在→未来という時間の捉え方も、本来は逆なのではという気もしてきます。

自分に人格やパーソナリティがあるように、からだにも人格やパーソナリティが在る。それを認める。そして偕に歩んでいく。知性の高め方も変わり、頭で押し込んだ知識からの仮面の知性ではなく、本来の知性へ。生き方も優しく丁寧になると思いますね。生きる前に、生かされて生きているのですから。

 

2016年11月23日(水)勤労感謝の日

秋季東京操体フォーラム開催!

今季のテーマは「膝と進化した操体」です