お陰様で昨日開催の「秋季東京操体フォーラム」は愉しみました。
御参加の皆様、有難うございました。
また「春季東京操体フォーラム」でお会いしましょう!
いい朝の目覚に感動できる・・・。
「今」という未来を頂く意味を、有り難く「マ」を頂ける日々。
やりやすい「楽」と本人の感じる「快」は違う。
道はそこにとどまらない。
「快」は本人の感じるものなのか。
「快」そのものに、質的な変化を伴っているのか。
・・・ということはその先も当然のごとくある。
”知る悲しみ”とは、学んでいることを「学問」にすること。
「学問」とは、ウソかホントか、自分でやってみてわかること。
・・・でもほんとうにそれでいいの・・・かな?かな?かな?
「MA」には目に見えないもの。
その先は、見えてはいないものを、「見える化」する努力も必要ですね。
それは有り難く、大自然のおっ母さんが用意して見守っているのだから。
自分だけの学びを、空間で共有可能な「学問」にすること。
それこそ、生きていることを、”生かされている”意味を感じるコト。
「からだ」で共有できるから「学問」に昇華できるんですよ皆様!
感謝して生きる日々は未知の道、操体の見守っている未知。
その・・・先の「間」に満ちている・・・見守っているのだから。