東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

間は魔に通ず

全ての習い事に「作法」がある理由は何でしょう。

 

師事することで、一定の時間をかけて学び取る努力する。

すると・・・不思議なことに「間」は進化するのです。

 

出来ることが増えてくる「間」と、丁寧に教えられても、

出来ない「間」というものはある。

 

それは、なぜでしょうか?

 

「認識」(←学問にしなければわからない) 

 認識できる空間は、学問にしていく。

 

「からだ」を通じて、いまここにある、

その瞬間、その空間に満ちている。

 

「重力」について。「空間」について。

そして、「次元」について・・・等々。

 

橋本敬三師は「間にあっていればいいんだ」と放言しましたが、

その言葉に、自分勝手な解釈や、気ままな解釈は似合わないのです。

 

ワタシ自身は、こう想っています。 

貴方が感じたことを『ありがたいな・・・』とホントに想えるのだろうか。

何を感じていたら『生かされているんだな・・・』ホントに納得しうるのか。

 

そう感じられるような、縦横無尽に継続した学問の間でありたい。

そのような森羅万象を「MA」に教えて頂いて生活に活かしたい。

 

ならば、必要があっての「MA」は、魔になっても全く構わない。

間の抜けた奴になるくらいなら、魔のある奴と言われてみたい。

 

例えるならある意味で「間」には二つあるのだろう・・・。

 

一つは、一定期間習っていれば、誰でも到達できる「間」。

そしてもう一つ。

それはある意味で、「魔」は「間」に通じているんじゃないか。

意識を変換してそれをどのように扱うか?

教わるものではなく、感じるもの。

それは、創造主の愛している空間にあり、その想いを感じる「間」。

 

未来から今をつなぐ「進化」そのもの。

 

理解されにくく誤解を生じやすい、故に「魔」を意識で磨き続ける。

もう一人の自分はそれを望んでいる・・・そんな感じがしますネ。

 

それでは「MA」での一週間、お付き合い有難うございました。

明日からは、ナイトセミナーの感度王こと、日下実行委員の登場です!