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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

五感のマ

日下和夫(くさかかずお)

 最終日のMAは 「五感のマ」 。 

 

 我々は、自分の五感を使って現実を見るものだと思い込んでいる。 五感が、世界を見る窓のようなものだとずっと思い込んできている。 それはある意味では正しいが、実際は窓というよりフィルターに近い役割を果たしている。 そのフィルターは99%以上のものを中には通さない。 自分で見たくないもの、感じたくないものは絶対に通さない。 自分の見たい現実しか、見ようとしないのである。 

 

 しかし、自分の 「五感のマ」 をさらに拡張していくと、今まで見えなかったものがその中に見えてくる。 肉体だけが自分だと思っている時、自分の感覚を通して感じられるものは限られているが、本当は、もっともっとたくさんのものをこの物質世界で見たり、感じたりできるのである。

 

 自分の肉体の部分にだけ焦点を合わせているとき、情報の99.999・・・%くらいは通さない。 我々はこの物質世界の99.999・・・%を見ていないことになる。 つまり 「光」 の波長だけでも、これくらいの部分しか我々は見えないということである。 また、「音」 にしてもある限られた範囲しか聞こえないということだ。

 

 自分の視覚とか未来像といったビジョンや他の感受性も強くすることができれば、自分のまわりにあるものを、もっと感じることができる。 肉体的な視覚を強くすること、それと同時に洞察力や自分の中の 「心の目」 を拡げることによって、五感のマからさらに多くの情報を得ることができるのである。

 

 我々が持っている普段の周波数を少し変えることで、そこに見えないものを見始め、聞こえないものを聴き始めることができる。 ただ、周波数が少し違うことから、自分で感じることができなくなっているのである。 しかし、それはエネルギーの周波数の違いがあるだけなのだ。

 

 時々意識的な自分の防御を少し降ろした時に、ほんの一瞬ではあるが、それらを知覚できることがある。 ところが自分の中に 「私が見るものはこうあるべきだ!」 といった期待があると、他のものが見えた場合、慌ててそれを閉じてしまう。

 

 そこでその扉を閉じない人達を、我々は 「気違い」 というレッテルを貼ってしまう。 しかし、その気違いと呼ばれている人達も、普段、我々がものを見ているのと同じように見ているのである。 ただ、集合的に我々が同意していないものを見ているだけなのである。

 

 ほとんどの人が見ている現実と違う現実を見た時、それをどう表現し、どう位置づけたらいいか、なかなか分からない。 気違いと呼ばれている人達の持っている困難さは、みんなと違う現実が見えるということではない。 

 

 気違いと呼ばれている人達は、自分が見ているものを他の人達に上手く伝えられないのである。 しかし、時々、他の現実を見ながら、それをまわりの人達にうまく伝えられる人達がいる。 我々はその人達を 「気違い」 とは呼ばないで、「天才」 と呼んでいる。

 

 もう少し芸術的な方向でそういったものが見える人は、ビジョナリー、すなわち、展望を持った人、と呼ばれることになる。 狂人とビジョナリーの違いは、ビジョナリーは少なくともその一部分を自分でどう理解したらいいか知っている、ということにある。 

 

 それは、五感のマからいちばん気持ちのいいイマジネーションを使って、ビジョンを持った部分を拡張することができるということなのである。

 

 次週は円のような丸いビジョンをもった香実行委員です。