おはようございます。
今週は友松の担当となります。どうぞ宜しくお願い致します。
今回のテーマは「MA」ということです。
あえて英語表記の2文字とすることで、何事にも大事な「間」が、新たなつながりを持つようにも感じます。
「MA」のMの字が何か気になったので、なにげなく紙に書いてみました。
最初は小文字のm。いつもの速度でウニョニョって書いてみる。
自分の名前がmからはじまるだけに、いつもどおりの普通っていう感じで、特にピンとくるものがない。merryクリスマスのm?いや、そういうことではない。う~ん。
そこで、できるだけゆっくりとmの字を書いていく。ゆっくり、呼吸を感じながら、ゆ~っくり。ゆっくり書いていると、うねり感が何か動きの波形でも書いているような気になってくる。
今度は大文字のMの字を書いてみる。スプリクトにエッジを利かせて、ギザギザっぽく書いてみる。これはなんだか、エネルギー感が出てきたように思える。
次に活字体で丁寧に書いてみる。丁寧に書いた活字体のMの字は、構造的になり、ツクリとなってきた感がある。
波形からエネルギー感、そして構造的なツクリへ。なんだか物事の創造過程が想い起されてきます。
書いた活字体のMをしげしげと眺めていると、左右にある棒が手をつないで握手しているようにも見えてきました。
そこで、もっとキッチリと書いてみたくなり、左右の棒の長さを5センチメートルに揃え、棒と棒の間も5センチメートルとして、その間の真ん中にMの字の逆三角の頂点がくるようにしてみる。
キッチリとMの字が書けたようだ。Mの字に入り込む隙間も、左の隙間に直角三角形、右の隙間も左に反転する様に直角三角形、上の隙間は2等辺三角形。う~ん、キッチリしている。思考的には満足だ。ちょっとした達成感もある。
しかし、何か味気ない。なにか活きとか生きといったものが感じられなくなった気がします。さっきまで感じていた小文字のmからはじまる生命感みたいなものがまるでなくなり、無機質なただの物体記号になったようにも感じます。
そして、その物体記号は左右対称の相対的ゆえに、左右どちらかの力が少しでも勝れば、つないでいる手が引き離され、中央から分解してしまう危うさも感じます。
動的バランスの観点を取り入れれば、左右2本の棒がそれぞれ同じように真っすぐ立っているだけでは全体的バランスとしては不安定なのだと思います。やはり、一方が引き寄せられたり、一方が先に歩み寄ったりして、一つに調和しようとする親和性が必要なのだと思います。
そのようなエネルギーなり、空間と連携した動きの波といったものが息づく事で、動的な調和が成り立つ。そんな動的やりとりが行われていれば、そうそう分解とか分断するような危うさは生じないと思います。
どんなものにも動きがあり、動きからカタチが生じているのですものね。キッチリと間尺を測って丁寧にやるのは勿論良い事ですが、その数値ばかりに囚われてしまうと、本当に大事なことが抜け落ちてしまうかもしれませんね。