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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

Maru・・・2。

おはようございます。

 

昨日は白隠禅師の円相の丸を見て、感じたことを記事にしましたが、書いていて以前の自分ならば、こんな感動はしていなかったろうな、と思い返していました。

 

そして、何気なくまわりを見渡していると、一冊の本が目に留まりました。目に止まった瞬間にハッとしました。その本のタイトルは「快からのメッセージ 哲学する操体三浦寛先生の著書です。なんと間のいいことでしょう。

本の表紙を見ていて、操体に出会って、善き師に教えを受けているお蔭で、自分自身は変わり、自分の感性も向上しているのだと感じました。

 

この本の表紙と裏表紙には、実際に渦状波ⓐを受けた被験者の方が表現した、色彩や象形が載っています。これは、快を味わいながら見ていた色光現象や象形の様子を、そのままキャンバスに再現していただいたものとの事。

表紙の半分は丸の象形が占めていますが、決して禅でよくあるような、半紙に丸を書いてみて下さい、といったやりとりからはじまっているのではなく、被験者の方が見ていたものを素直に表現していただいたものです。

それが見事なまでに円相となっているのですから愕きです。まるで厳しい修行を長年積んできたお坊さんが描いたかのように感じます。

血の滲むような修行の末に、辿り着けるような、そんな境地に被験者の方は行きついたという事でしょうか。本当に愕きです。

 

ここで重要なのは、被験者の方は自分が意識して瞼の裏に象形を見出していたのではなく、心とからだの調和へ向け、からだの無意識が必要あって見させていたという事です。

この、からだの無意識にふれる瞬間と、その時空。この間というのは、禅に限らず、あらゆる修行者の目指す間なのではないでしょうか。

その間は神性顕現の間でもあり、本源本来の自分自身をとり戻す間でもあると思います。有を生む無。そのような観点から想うと、被験者の方が素直に書いた丸と、長く修行を積んできたお坊さんの丸と、それぞれ個性はあるにせよ、同じように尊く、感動させられるものなのだと思いました。

 

快からのメッセージ―哲学する操体

快からのメッセージ―哲学する操体