東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

プロ意識とプロ根性⑦

 今回はブログの初日より 「真理を知る」 ということについて特に拘ってきた。 そして、「プロ意識」 とは 「知る」 ことであるとも言った。 その知ることの 「知」(knowing)が死んで萎縮し、「知識」(knowledge) になる。 それから更に知識が萎縮すると 「実践」 とか 「性格」 というものになる。 これらはすなわち、三つの段階である。

 

 この性格の人というのはこの世で最も死んでいる人である。 性格の人は自分の知識を実践しながら生きている。 自分の知識に従おうと試みているのである。 当然のことながら自発的ではない。 性格の人は絶え間なく操作していて、ああだ、こうだとやりくりしながら自分をプッシュしている。 そしてどうにかこうにかまとまりをつけているのであろう。

 

 このような性格の人には責任(responsible)というものがない、応答(res‐pose)できるという意味での責任がないのである。 もし性格の人に答えを求めたのなら、過去の経験から、性格からやってくる。 性格の人というのは予測することができる。 だからこういった人を相手に占い師が喰っていけるのだ。 しかし、予測できるのは機械だけである。

 

 プロ意識の人は予測不能だ。 どんな占星術者であってもプロ意識の人に関しては、何も予知することができない。 なぜならプロ意識の人は瞬間から瞬間へと、驚きで一杯になりながら動いてゆく、驚きから行為してゆく、瞬間への応答として行為する。 

 

これら三つのステップは 「知ること」 が死んで 「知識」 となり、そして知識が 「性格」 になる。

 

 プロ意識をもった臨床家なら、どんな知識も持ち歩いていない。 またどんな性格も持ち歩いていない。 瞬間ごとに新しく生まれ変わっている。 これこそが真の医療家の条件である。  

 

 「知ること」 が堕落して 「知識」 になることを許さないプロ根性をもたなければならない そして 「知識」 にコントロールされ 「性格」 をつくりあげることを許さないことが必要だ。 性格というのは鎧である。 その鎧の中に閉じ込められると、決して自発的ではあり得ない。 そうなるともう自分の墓の中にいる。 性格というのは墓そのものである。

 

 明日から一週間は香実行委員が語るプロ意識とプロ根性です。 お愉しみに