東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「ミタテ」の考察④

 私のところに操体の施療を受けに来る男性A氏がいる。 このA氏に、「具合が悪くなってから来るより、そうならないように日頃からヨーガをしてみてはどうか」 と、私のヨーガ指導を受けてみるよう提案してみた。 A氏は聡明な人で弁護士をしている人だが、そのA氏が、さあ明日から来てヨーガを始めますと約束すると、必ず何かしら問題がもちあがるのだった。 

 

 妻が病気になるとか、急に訴訟があって地方に行かなければならないとか、あるいはまた、ヨーガ教室に向かう朝、急に何とも怠慢な気分になって次の日まで行くのを延ばしてしまうとか・・・・・・。 A氏は 「明日から参ります。 明日には絶対にヨーガを習いに参ります。」 と言って何回も何回も約束するのだが、決まって何かが起こるのである。 これはずっと続いていた・・・・・・。

 

 これについて、心理学的な 「診たて」 ではこうなる。 A氏が約束するたびに必ず何かが起こる。 この何か起こるということはA氏の内部に関係があるのではないかと思える? 子どもが病気になる、妻の具合が悪い、A氏自身が怠慢な気分になる、エネルギーがない・・・・・・。 こういったことと関係する何かがあるのではないだろうか? こんなに何回も決まって起こるとなっては、もう単なる偶然では済まされない!

 

 こういった精神作用は最近の心理学で言っているように個別のものではなく、一つの集合的な現象だということだ。 A氏の意識とA氏の子どもの意識は、二つの別々のものではない。 どこかで出合っている、一つのものである。 子どもたちというのは実に敏感に感応する。 というのも子どもは純真無垢だからだが、この非常に豊かな感応力で、子どもは、身近にいる人のことを感受することができる。

 

 たとえば、父親が魚釣りに行きたがっていて、母親の方は行きたくないとする。 もちろん母親はそんなことは口には出さない。 母親自身、自分が本当は行きたくないことに気づいていないかも知れない。 と、急に子どもが吐き気を訴えて病気になる。 これは心理学者も行き当たった事実ではあるが、子どもは単に母親の無意識下にあることを示して見せているのにすぎない。 それというのも、もし子どもが病気になれば、母親は外出をやめざるをえなくなるからである。

 

 精神分析が次第に人間の頭の働きの中に浸透していくにつれ、精神分析医たちは、一人の人だけを治療しようとしてもそれはできない、家族全体を療法の対象にしないかぎり無駄だと感じるようになってきた。 なぜなら、一人の個人だけが異常になっているのではなく、その家族全体が病的になっているからだ。 症状を示しているその人は、一番弱いというだけのことである。

 

 これがもし子どもが四人いる家族で両親を入れて全部で六人いるとしたら、その中の一番弱い人が病的な症状を示して神経症になる。 家族全体がノイローゼなのだが、他の五人はその人よりもいささか強い。 その人だけが一番弱いのだ。 この人を治療することはできるし、家族から引き離しておけばだんだんよくなっていく。 ところが、もし再び家族の許に帰すとしたらまたおかしくなる。 

 

 さてこうなると大変難しいことになる。 一体、どうすればいいのだろう? 家族全員が治療を受けなければならない・・・・・・、が、そうなったらことはもっともっと複雑になっていく。 家族は社会の中、一つの共同体の中で存在している。 だったらその共同体全体が病気になっているに違いない。 そして、この家族はその共同体の中で一番弱い家族だというだけのことである。 

 

 ここまでくるともう果てしなく広がっていく。 社会共同体は国の中にあり、国は地球の上にある。 そして意識は大海原のように存在する。 だから個人を治療することは不可能ではないにしても、非常に難しい問題をはらんでいる。 その人が病気になるのを手伝っている人がまわりに数多くいるのだから。

 

 このような心理学的な 「診たて」 をしていくと、人類すべてが精神病患者ということになってしまうが・・・・・・。