東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「ミタテ」の考察⑤

 精神疾患のある人はネガティヴな気分にあるとすぐにも精神療法家に会いたがる傾向がある。 だがそれは精神療法家に会うのに適切なときではない。 ネガティヴなときに会っても、せいぜい療法家の同情を得るだけである。 そうではなくポジティヴなときに会ってこそはじめて療法家から健康を得られることになる。 ネガティヴになっている精神には健康は与えられない。 なぜなら、ネガティヴになっている精神は健康を受け容れようとしないからだ。

 

 精神疾患のある人は、悲しくなっていたり、憂鬱で落ち込んでくるとすぐにも精神療法家を探し求める。 逆にハイになると、つまり気分が高揚してくると療法家のことを忘れてしまう。 いい気分で楽しくって幸福なときには果たして療法家を必要とする人がいるだろうか? それは訊くまでもないことだ。

 

 もし精神療法家がそういった患者のアポイントを遅らせるとしたら、それはただ、その患者の憂鬱は一生続くものではないことを療法家は知っているからということなのだ。 療法家はそのような 「診たて」 をする。 

 

 なぜなら、その憂鬱は、今日は居座っても、明日にはいなくなることだってある。  つまり、誰も永遠に憂鬱ではいられないということだ。 来るものはまた去っていく。 気分も来てはまた通り過ぎる。 だから患者はポジティヴなときにだけ療法家に会いに行くべきだ。 そういう時にこそ、患者に健康を与えることができるのである。

 

 精神療法家と精神科医の違いはまさにこれだ。 精神疾患をもつ者が、精神科の医者に会いに行くのは、自分がネガティヴなとき、病気のとき、ちゃんとした状態でないときに限られる。 そのように病んでいるときに医者に行き、医者は患者に健康をもたらそうとしてくれる。

 

 しかし、精神療法家の許に行くのは、精神が健康であるときが絶対に良い。 なぜなら、その療法家がより大きな健康を与えることができるからだ。 自分がまったくポジティヴで、幸福感に満ち悦びに溢れているときこそ、精神療法家の許に行くべきである。 そうであってはじめて、療法家は患者をより高い健康の次元にまで導いていくことができる。

 

 精神療法家の許に来るときには、ただ健やかになるために来るのではなく、普通の健康より以上の健康を得るためにくるのがいい。 ただ幸せになるためではなく歓喜のために、そして、ただ健やかになるためではなく全面的な存在になるために来るべきなのである。