エチオピアには、客人にコーヒーセレモニーをして迎え入れてくれる風習がある。お茶をたてて客人をもてなす日本の茶道と似たものであるようだ。
エチオピアの砂漠と荒野にある田舎の村を訪れたときのこと。
そこでもコーヒーセレモニーを催してしてくれた。
それにはまず、それまでに使用した汚れたカップとソーサーを洗わなくてはいけないようだった。
しかしそこには水道がない。
その様子をみていると、水差しからカップに半分にも満たない水を入れ、その水をこぼさないように指でカップを洗う。
そして次のカップにその汚れた水を注ぎ、今度はそのカップを洗う。
それを繰り返していくつかカップを洗った後、その水をソーサーに入れ、今度はソーサーを洗う。
そうしてまた次のソーサーへ入れ、また数枚のソーサーを洗う。
要するに、約カップ半分の水で数セットのカップとソーサーを洗っていたのだ。
そんな発想は思いもしなかった。
日本では、簡単に蛇口から水がでるし、簡単にどこでも水が買える。
わずかコップ半分の水が貴重だなんて思ったこともなかった。
水が蛇口から出てくることは当たり前ではなく有り難いことだったのだ。
他にも自分の日常の中で見逃している当たり前でありながら、有り難いことが沢山あるのだろう。
それに気づき、有り難いと感謝できたら、日々の気持ちが変わってくるのではないか。
感謝のエネルギーは強力である。
それは私だけでなく、誰にでもできる日常の宝さがしのように思う。