(昨日の続き)
からだに触れ、触れられた方は
からだからヒビキを感じる。
ここでいうヒビキは「感覚」という言葉にも
置き換えることができる。
そして、ききわけられるヒビキ(感覚)は
基本的には、その人自身にしかききわけられないものである。
からだを「楽器」のように考えてみるとき
被験者は楽器そのものでありながら、唯一人の観客でもある。
その人自身にしかききわけられない
ヒビキに触れる操者の役割というのは
本当に興味深いと思う。
(昨日の続き)
からだに触れ、触れられた方は
からだからヒビキを感じる。
ここでいうヒビキは「感覚」という言葉にも
置き換えることができる。
そして、ききわけられるヒビキ(感覚)は
基本的には、その人自身にしかききわけられないものである。
からだを「楽器」のように考えてみるとき
被験者は楽器そのものでありながら、唯一人の観客でもある。
その人自身にしかききわけられない
ヒビキに触れる操者の役割というのは
本当に興味深いと思う。