東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

サイレンが鳴る前に

からだにとっての「無視」とは何だろうか。

からだからのメッセージを、聞かなかったことにすることだとまず浮んでくる。

 

「病気」や「症状」、「疾患」などはある程度まで行き着いた結果のことであって、

メッセージとしてはかなり音量や音圧の大きなものと言っていいと思う。

分かりやすいし、ある程度を越えれば無視することはできない。

操体ではこれをよく「サイレン」に喩えることがある。

 

こんなに大ごとになる前に、からだの方からはなんらかのメッセージが送られているはずだ。

なんとなく、調子が悪いだとか、いつもと違う感じがするとか。

不定愁訴や微症状と呼ばれることもあるこの「なんとなく」も

立派なからだからのメッセージ。

このレベルのことは、気が付いているけど、気付かないことにしてしまう事が多い。

数日たてば、消え去ったように感じることも多いし、

そのような些細なことに気をとられている余裕が、毎日の中に潤沢にあるわけでもない。

そして、何よりも気付いたところで、残念ながらからだに対してどうすることが必要なのか、

自分で考えてみても他人に聞いてみても、わからないことだったりする。

そこでからだと向き合うことを少し諦めてしまう。 

 

からだからのサイレンには、鳴り始める理由がある。

原因となる何かが、何でもない日々の生活の中で燻っている。

サイレンとはまた違う微かなメッセージがこのときにも届いているはずである。