東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2025-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ちょっと立ち止まりたいときに2

ことばは光のようなもの ことばは風のようなもの ことばは雨のようなもの 以前、このブログにも書いたことがあるかもしれませんが、 その昔、ニホンヤモリを育てている時期がありました。 我が家に迷い込んだ小さい生き物を興味本位で育て始める中で、 色々…

ちょっと立ち止まりたいときに

おはようございます。 ことばは光のようなもの ことばは風のようなもの ことばは雨のようなもの そんなことばによって 誰かに読まれるのことない わたしとからだとの間で 感謝のひびきを通じて交わされている手紙 瀧澤さん、一週間ありがとうございました。 …

からだへ⑦

からだへ ありのままをそのまま素直に感じてみる。 そうやってあなたの声の感触をふかめていきたい。 そして、あなたの背景にあるはたらきの法則性に気づいていきたい。 学びの質が変わると、そんなふうにおもえるようになってくるのですね。 この学びのおか…

からだへ⑥

からだへ 以前はあなたを上手に操ろうとしていましたね。 意図したとおりにあなたを操って、「ちゃんとできている」という実感が欲しかったんだとおもいます。 けれども、そのときの「ちゃんと」という基準は何だったんでしょうね。 あなたが感じとっている…

からだへ⑤

からだへ 外にいると、ジリジリとした皮膚感覚で日差しの強さを感じます。 半袖で一日外作業をしていたら、手首から肘の上辺りまで真っ赤に焼けてしまいましたね。 日焼け止めのクリームを塗っていれば良かったと反省しています。 けれども、面白く感じた現…

からだへ④

からだへ 周囲に広がる空間を感じながら作業ができると、うごきが軽く、息もしやすい。 皮膚感覚を介して、あなたの外側に広がる空間と、あなたの内側に広がる腔󠄂間が調和しているような、そんな感触さえあります。 そのような一日の終わり、涼しくなった風…

からだへ③

からだへ 暑い日が続いていますが、時折吹く風に癒されています。 作業をしていても、そのことにふっと意識が向く瞬間は有難いものですね。 そんなときは、刻む時間から解放され、時間とは違った「ながれ」を感じとっているのだとおもうのです。 「ながれ」…

からだへ②

からだへ あなたのリズムより、速くもならず、遅くもならず、同じリズムでいられるときは、作業をしていてもあまりストレスは感じないものですね。 むしろ、心の余裕が生まれるようにも感じます。 先日のように、はやる意識が先行し、あなたを置いてけぼりに…

からだへ①

岡村さん 「間に合っている」ことの考察と、その真摯なメッセージ。 一週間ありがとうございました。 引き続き、テーマはフリーで瀧澤が担当します。 からだへ いつも真摯に向き合い、あなたの声を素直に聴いていたいとおもっていますが、時折、あなたから離…

共生を通して「間に合う」状態へ還す臨床⑦

「間に合う」状態へ還す臨床

「からだ」の要求と「無意識な反応」と臨床⑥

本当に間に合っているとき、 からだは「気持ちよさ」で繋がっている。 からだの要求には、くしゃみや咳、鳥肌、吐くといった反射がありますが、それらとは異なり、「あくび」は“気持ちよさ”を伴う、無意識の反応です。 あくびは、脳の温度を下げ、眠気を抑え…

脊椎動物としてのヒトの構造を生かす臨生⑤

進化の記憶は、背骨に宿っている。 からだの設計にミスはない、かつてから間に合っていた。

間に合うために「操らない」臨床④

間に合うために「操らない」こと 間に合うためには、何もしない“勇気”がいる。 では、それを元に戻すにはどうすればよいのでしょうか? まず必要なのは、「何かを操ってしまう」という無意識の姿勢に気づくこと。 捉え方そのものを問い直すことです。 操作と…

自然の法則と生命の覚醒と臨床③

生命の本能は、もっと先へ行こうとしている。自然は、止まらない。 天然自然の法則に則るということは、からだが覚醒し、生命の要求を受け取れる状態になるということです。 その覚醒が進めば、自然と「100%を目指したくなる」という欲求が芽生えてきます。 …

執着と操作から自由になる臨床②

操作するほど遠ざかる。 執着を手放すと、からだの声が聴こえてくる。 「何かに執着する」ということは、それに縛られることでもあります。 それは「操ろうとする意識」と表裏一体です。 操ることをやめたとき、初めて私たちは「間に合う」ことに近づくのか…

「間に合っている」ことを感じる臨床①

今週のブログを担当する岡村です。 引き続きテーマはフリーとなります。 一週間よろしくお願い致します。 「100点じゃなくてもいい」は本当か? ——“間に合う”の意味を問い直す。 「間に合っている」という言葉について、考察してみたいと思います。 橋本敬三…

七日目

『私は、「体操とは占(裏綯)であり、からだの神に貞くことである」といっている。「貞」と「操」とは、そのコトバの本質の「問・聴・聞・祈」において同義である。 人間の生きることのすべての営みは、大自然の神・からだの神に貞(き)(操)いて定(さだ…

六日目

『あらゆる知識による先入観を捨て去った所で(このことは極めて難しいことだが)、自分自身のからだの中身の事実としてのあり方を「からだの中身の神の声を貞く」という、敬虔・謙虚なあり方で、そして素朴・素直な感覚で、常に新しく「問いかけ」を繰り返…

五日目

『呼吸は、意識の世界から無意識の世界への唯一の回路(手がかり)である。』 「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)91P 原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫) 作者:野口 三千三 岩波書店 Amazon

四日目

『一般に五感と呼んでいる基礎感覚の「視・聴・嗅・味・触」は、主として外界の情報を受け容れるものである。そのために感覚とは自分の「外界に向っているもの」という強い先入観ができている。私は感覚の本質とするものは、むしろ自分の内側に向かうもの、…

三日目

『人間にとって最も重要な、全体統合的・結論的感覚(感情)であると同時に、すべての感覚の底に流れているものは「快・不快」であると思う。 この快・不快感に深い直接関係を持っているのが体性感覚や内臓感覚なのである。重さの感覚もこれに交錯しているも…

二日目

『体操がからだの動きにおいて、筋肉と骨格(いわゆる運動器)によって起こる外側にあらわれた大雑把な形の変化にのみ注意を向けるのはおかしなことなのである。すなわち、人間の動きを問題にするときは、中身の状態をこそ問題にすべきなのである(中身が同…

一日目

橋本敬三先生と野口三千三先生とは、生前に交誼がありました。同じ講演会の講師として「一体人間て何だろう、自然て何だろう、生きるってことは一体どういうことだろう。そんなことを本気で考えています。したがって橋本先生の場合と余りにも似ていて、体操…

「じぶんとからだとの関係性 ~その7~」

本日で最終日になります。 昨日まで痛みと向き合っていく中で感じたことや治っていくプロセスの中でからだが教えてくれたことを素直に書いてきました。 その中で特に最近特に強く感じていることはからだの左と右の違いです。 例えば人体で一番使うことの多い…

「じぶんとからだとの関係性 ~その6~」

昨日の続きになりますが、痛みや苦痛が生じている時にからだが表現している呼吸や動きにはある特徴があるように見えます。 まず呼吸は呼気が優位になっているということです。 呼気に優位性を持たせることで痛みを緩和させようとするからだのメカニズムがあ…

「じぶんとからだとの関係性 ~その5~」

最近は痛みというものはからだとじぶんとの距離を縮めてくれる本当にありがたいものだと思っています。 痛みがなく過ごせている時よりも痛みがある時の方がからだから受け取れる情報量が多く、そして貴重なものが多いように感じます。 「(痛みがある部位と…

「じぶんとからだとの関係性 ~その4~」

体調が悪かったり、疲れが溜まってきた時によくわかることがあります。 それはからだのことを置いてきぼりにしてしまっているということです。 感覚的にはじぶんの意識がからだの意識より常に一歩、二歩先にあるような感じます。 そういった意識の状態に気付…

「じぶんとからだとの関係性 ~その3~」

「ゆっくり動く」とはいったいどういうことなのかと考えています。 操体を学び始めた当時、三浦先生から「動きが早い」とよく指摘されましたがこれも深い意味があったように思います。 からだの動きの学習を重ねてきた現在になって思うのは「動きが早い」と…

「じぶんとからだとの関係性 ~その2~」

昨日は本人の意識の持ち方によってからだの重心や立ち方、呼吸と動きが大きく変わってくることを書きました。 本日はそれに「感覚」を絡めて少し書いていきます。 最近は人の重心や立ち方によって時間の感じ方も変化してくるという仮説を立てて、からだと向…

「じぶんとからだとの関係性 ~その1~」

三浦先生、一週間ありがとうございました。 本日からは三浦寛幸が担当致しますのでよろしくお願い致します。 このブログでも度々書かせて頂きましたが、関節リウマチになり今月で9か月の月日が経過しました。 先月まではだいぶ落ち着いていましたが、先月の…