東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

寺本 雅一(てらもと まさかず)

臨床と生活にいかす操体法 7

今年度春季東京操体フォーラムのメインテーマは、今回のブログテーマにもなっている通り、「臨床と生活にいかす操体法」です。 「いかす」または「いきる」ってどういうことだろうと考えていて 思い浮かんだのは「点」と「点」だったひとつひとつの学んでい…

臨床と生活にいかす操体法

手でふれて確認する。 足の裏でふれて確認する。 ここ数日ブログで綴ってきた習慣のように、 手や足の裏からの情報に意識が向くような生活を過ごしていると 自ずと「感じる」機会をもつようになります。 普段、何も考えず作業することもあれば、 アタマを使…

臨床と生活にいかす操体法 5

昨日は「手」を使う「接触」の習慣について書きましたが、 同様に「足」で接触することについても興味深く感じています。 直立二足歩行の人間は立つ、歩く、座る、立ち上がるなど、生活の基本動作のなかで、足の裏を地面に着けて生活しています。 そのなかで…

臨床と生活にいかす操体法 4

昨日「接触」についてのことを書きましたが、私自身も身の回りを見渡してみれば「接触」の機会を失っているように感じています。 こどもの頃は、あそびのなかで何にも考えず色々なものに触れてみていました。 全身でそういった経験を味わっていたように思い…

臨床と生活にいかす操体法 3

生命活動は「接触」を伴う現象に溢れているように感じます。 対して、人間の営みは刺激的なものの割合が増えてきて、 気が付いたら生活の多くを占めるようになってきたようにも思います。 操体を学んでいると、度々この「接触」と「刺激」という捉え方につい…

臨床と生活にいかす操体法 2

操体を通して学ぶことは、臨床と生活、そのどちらにもいきてきます。 自分自身も操体を学びながら気が付かないうちに、その恩恵を受け取ってきたことを、改めて感じています。 臨床に必要なことを学んでいると、それが自然と自分自身にもかえってくる。 また…

臨床と生活にいかす操体法

瀧澤さん、一週間ありがとうございました。 本日から直近に開催される春季フォーラムのテーマ「臨床と生活にいかす操体法」を引き継いで寺本が担当します。 どうぞ、よろしくお願い致します。 これは10数年前の私自身の話になりますが、当時は慢性的な片頭…

からだがききわけていることば7

ことばは「言葉」。 用いられている漢字が言の「葉」となっている。 本来の語源や意味からは離れていくかもしれないが、 ことばにまつわることは「植物的」な営みなのかもしれないなと思う。 普段頭のなかには様々な思考意識があふれている。 それは言葉にな…

からだがききわけることば6

今回はからだとことばについてブログをすすめてきましたが、少し視点を変えて、こんなこともことばに通じるのではないかと思うことを挙げてみます。 私たちが「間」と呼んでいるものも、ことばを用いることの延長にあるように感じます。 操体の動診・操法の…

からだがききわけることば5

ことばについての学習は、どんな言葉を選んで使っているのか ということ以外にも、波及します。 操体臨床の操法のなかで、ことばを使う。 その際に、操法を介助、補助している操者の発することばが、 どんな対象に向けての問いかけなのか、というのも重要に…

からだがききわけていることば4

ことばが変われば、からだの動き(うごき)も変化します。 そのことを学習することも操体を学ぶ醍醐味です。 私たちの日常生活は、個々人の身につけてきた様々な習慣によって形作られています。 その習慣によって、その人がつくられているといっても、言い過…

からだがききわけていることば3

からだというのは、空間から実に素直に情報をうけとっていると感じます。 ことばを発することは空間に変化を与えます。 発せられることばによって、空間を共有しているからだは様々な影響を受け取ります。 からだがこわばるようなことばを使えば、からだは素…

からだがききわけていることば2

操体臨床の際に、操者が用いることば。 それは空間を介して、伝わっていきます。 相手に。からだに。操者自身に。 操法の際に、介助を与え、接触しているからだ。 皮膚に触れているその様子からも、 からだがたしかにことばに反応しているのが感じられてきま…

からだがききわけていることば

瀧澤さん、一週間の投稿ありがとうございました。 バトンをうけとって本日より一週間寺本が担当致します。 今回、テーマは無題とのことですので、最近自身のテーマとなっていることを中心に書いてみたいと思います。 宜しくお願い致します。 操体を学ぶよう…

から だから かさなる6

からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 からだはことばをもたない。 代わりに感覚を介していろいろな情報を伝えてくれる。 体調の急な変化など、時にはっきりとした情報として伝えてくれることもあるけれど、 基本的には、しずかなし…

から だから かさなる5

からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 休みの日にぼーっとしていると、 「今日は何もしていないなぁ」と感じることがあるけれど、 からだからみれば、何もしていない日は一日もない。 生命活動に「お休み」はない。 しずかにしてい…

から だから かさなる4

からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 「考える」というのは、「感じる」のだいぶあとに遅れてやってくる気がする。 感じていることを、ことばに表現する。 感じていることについて、考える。 感じていることを、あじわう。 感じて…

から だから かさなる3

からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 からだがききわけているメッセージってどんなもの? からだから伝わってくるメッセージは わかりやすいものもあればわかりにくいものもある。 感覚を通してつたわってくるもの。 いたみ、違和…

から だから かさなる2

からだからのメッセージは からだがききわけているメッセージ。 植物を眺めていたり、葉や幹に触れたり、 木陰でのんびりしてみたり。 こうしていると、落ち着くのはなぜだろう。 植物の生きているスガタは、 空間からみえない何かをききわけている 素直な姿…

から だから かさなる

からだがききわけているメッセージは 感覚を通じてからだにききわけることができる。 メッセージを素直にうけとることができたら、いうことはない。 それがなかなかかんたんなことではないから、わたしたちは迷い、探す。 しかし、探しても見つからないのが…

から だから

瀧澤さん一週間のメッセージ、ありがとうございました。 本日より、寺本がテーマ「からだからのメッセージ」を引き継いで担当します。 よろしくお願い致します。 からだかからのメッセージは、 からだがききわけているメッセージ。 わたしたちを包んでいるこ…

まるごと操体⑦

何事もなく穏やかに生活が営まれている。 普段、「普通」だと感じていることが、実はヒトの意識の及ばない生命活動の重なり合いによってささえられ、実現している。 操体はこういったからだにとっての「普通」であることに、新たな切り口をもって学ぶことの…

まるごと操体⑥

からだからのメッセージは様々あるが、 日々身近なものとして感じられるものに、 おなか(内臓)から受け取っている感覚が挙げられるだろう。 空腹感、満腹感、お腹の重さ、軽さ、腹痛、おなかが緩い感じ、何故か分からないけどおなかが鳴っているとき、床に…

まるごと操体⑤

以前も本ブログのリレーテーマで「健康」について取り上げられたことがある。 この「健康」というものはわかっているようで、よくわかっていないものだ。 わたしにとっての健康 からだにとっての健康 それぞれのことばからイメージする健康観はどのようなも…

まるごと操体④

からだが当たり前のように生命活動を営んでくれているお蔭で わたしたちは普段の日常生活を当たり前に過ごすことができている。 この当たり前が、当たり前でなくなった時に、 自身のからだの不調や病気、健康のことなどについて感じ、考え始める。 当たり前…

まるごと操体③

日常生活のなかの「当たり前」。 その当たり前のなかに、ヒトがいきるヒントがつまっている。 そういうことに気付き、学ぶことができるのも操体。 操体では特別な道具を使うことはほとんどないと言っていい。 (もちろん工夫次第で、道具はいかようにも用い…

まるごと操体②

日常生活は学ぶことの宝庫。 この営みのなかにも生命活動は満ちている。 まるごと操体。 いろいろ試してみて、自身のからだからのメッセージを受け取る。 それを第一の情報として、自身の学びの種とする。 学んだことを、からだを通して学習している同志と共…

まるごと操体①

瀧澤さん、一週間の「まるごと操体」メッセージ、ありがとうございました。 本日から寺本が引き継いで投稿致します。 ブログのテーマは引き続き「まるごと操体」です。 よろしくお願い致します。 操体を学んでいて感じるのは、この学びは『からだ』からの様…

さわる が ふれる になるとき7

物に触れる、からだに触れる、いのちにふれる。 手や足をうごかして、またはからだそのものを介して何かに接触する。 そういった目にみえる「ふれる」もあり、 発声などの目にみえない動きを通して ふれているようなことも、普段の生活には溢れています。 楽…

さわる が ふれる になるときは6

「さわる」のか「ふれる」のかという捉え方の違いは、 私たちが普段何気なく行っている「動き(うごき)」全般に関わることです。 例えば、実際に、手足を使って何かを行うときはもちろんのこと、 会話や言葉のやりとりにも「声(発声)」を介した 「さわる」…