東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「稲翠先生」

おはようございます。土曜の朝を迎えました。アッと言う間の一週間、ブログも今日で最終回です。お世話になりました。昨夕、最新の出版情報が飛び込んできました。皮膚皮部の情報です。皮膚の新書は入手しましたが、皮部はこれから発注の予定です。私たちが取り組んでいる皮膚の診断、臨床に何かヒントになるのではと期待しています。僕の方も、「要妙パート2」のゲラが少しづつ手元に送られ、いよいよ校正の段階に入っています。出版元に原稿を提出して一年余り、その間、皮膚へのアプローチも少しづつ内容を満たし、新たな問いかけや気づきが掘りおこされ、その追加の原稿も書き添えながら、より内容の充実をはかっています。ブログの最終回は、「稲翠先生」と題して最終回を締めくくりたいと思います。

南画の稲翠(とうすい)先生、南画も水墨画も見境いのない私は、かなり失礼な対応をして来たようだ。私自身学生の頃から美術部に席をおいて油絵を描いていた時があった−特に中国の霊山秘境を描く水墨画には興味があった。ただ僕の興味はその美だけであり、歴史とか、水墨画そのものを追求するものではない。私は1973年の冬、下北沢の書店で現代日本美術全集全18巻が目にとまり。どうしても欲しくて、ローンを組み全巻を買ってしまった。かなり立派なもので、一巻でもかなり高価だった。かなりの重量で、全巻一度に持ち上げることなどできない。この美術全集は一巻の富岡鉄斎に始まり、第二巻が横山大観と続き、十八巻が萬鉄五郎、熊谷守一で終わる。私は特に富岡鉄斎の淡彩画に心を打たれ、よく鉄斎の全集に見入っていた。鉄斎の作品は、水墨画でもなく、淡彩画というらしい。南画にも似ている。色彩が入り、書体が入る。圧巻は寒霞渓図(かんかけいず)、富士遠望図(ふじえんぼうず)、百衣観音図(ひゃくえかんのんず)、普陀落山観世菩薩像図(ふだらくさんかんぜぼさつぞうず)などは心にのこり打たれる作品であった。

鉄斎は天保七年(1837年)に生まれ、1924年89歳の生涯をとじる。私が稲翠先生の作品にひかれるのは、鉄斎の影響なのだろうかと思う。

私の手元に、中国の秘境・霊山を描いた淡彩画とも南画とも私には判断つかぬ、巻物がある。額に納めようとするならばゆうに200号以上の大作である。何故そんなものが手元にあるのか、話せば長くなるのでやめるが、それだけ私が魅了されているからであろう。
南画に興味があるが、先生の全身全霊で飛び込んでいる厳しさを感じとれば、心無くしては土足で踏み込む無礼さに等しい。私が稲翠先生と向かい合っている時は、息をとぎすまして神経を集中しないと先生の話の中に入っていけないのだ。真刀で向かい合い、武士であれば動いたら即切られるほどの霊線を感じる、南画そのものが稲翠、そのもの、私から両腕を切り落とされようが、両足をもがれようが、それでも耳穴を使ってでも鼻穴を使ってでも「南画の稲翠」をつらぬくのであろう。それがほとばしる稲翠先生の霊線なのだ。血火(ちばな)を散らすような向かい方ではなく向かいあふことで共に響きあえる霊的共感を感じとっているのだ。稲翠先生も私も、そのものを見つづけてきた。南画の最高峰を師にいただき、操体の祖に学びを得てその頂点をみすえられる境にあるそのもの同志が共有できる(響き得る)学び得るところの生命線を感じあっているのだ。5月の連休に稲翠が腰に激痛を覚え寝込んでしまった。私は呼ばれもしないのに自宅に足を運んだ。ただ急場しのぎである。稲翠先生の力になれると思ったからだ。その状況を診て、左目の酷使からくる腰痛だと本人に告げた。左目に何かあるとわかったのは、三茶を出る時すでにわかっていたことなのだ。そしてこの腰痛も今にはじまったことではなく、一度併発してしまうと一ヶ月は寝込んでしまうひどさらしいのだ。しかし今回は三日ほどで再起できたのだ。稲翠先生はシカゴでの講演を間近に控え、体調云々とは言っておれない多忙のさなかであった。六月の期間、週一度私の臨床を受けに三茶に通ってくれた。稲翠先生の右目の視力低下が気になっていたが、のしかし治療の期間に著しく回復してきたのであった。

本人に聞くまでもなく、私は右目のこともわかっていた。右目の視力の回復も、腰の激痛も、どうすればよいのかわかるから、自宅まで押しかける。稲翠先生も三浦にかかればこの右目も回復することが予測できるから三茶に足をはこんできたのだ。

診させてくれとも先生に頼んだ訳でもない。ただ、わかりあえるというヒビキを共有できるからこそなせることなのだ

六月のある週に、稲翠先生は「宙」という書体をしたため、私に贈って下さった。宙といわれてみれば宙だが、宙といふ書体には見えない。宙といふより宙といふ創造のアートである。宙という命の細胞、その生命想像のアートである。

やっとブログが終わりました。一週間のお付き合いありがとう。また21週後にお会いしましょう。森田さんにバトンタッチします。

※田中稲翠先生は、2009年、秋の東京操体フォーラムにて講義をしていただく予定です(畠山裕美)

水墨画家イスラエルを行く―それでも好きさ バラガン王国

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