おはようございます。
先日1月24日、ホテルオークラの仕事を終えて、松岡正剛氏の古稀のお祝いに顔を出した。
私は生まれてこの方、文化、文学とは縁のない風来坊である。
本に親しみを覚え、本の豊かさを知ったのは、ごくごく最近のこと。
シェークスピア、枕草子、源氏物語といってもまともに完読したことはない。
松岡先生の講演を聴きに行っても、ほとんど頭に入らない。
入らないんだけど、私のこの右脳が「わからんでも聴け!!」と話しかけている。
わからないことだらけだけど、かなり真剣に聴いている自分がいる。
なにか冬眠し続けてきた神経回路にスイッチが入り、線香花火のように、チリチリ、パチパチとはじけているんだ。
松岡先生の「編集工学」という名称、そのヒビキがとってもいいことに気づく。
とくに「編集」がいい。
私はもじって、へんか、の変に変えて変集と心得た。
変集とは、自在するものの、普遍なる現象の変化である。
それは、あふれでる生命(いのち)の起源である。
ヒトはそれに親神を描き、心に唄ってきた。
「人間とは、神の意志の編集である」
ヒトはそれを書籍に残す。書籍とは、その再生フィードバックである。
松岡正剛は、まさに書籍をとおして、人間は神の意志の編集者であることを示している。
彼は神の言葉の証(あかし)を多くの人、書籍を介し紹介しているのだと思っている。
そしてさらに興味をそそるのは、私が学ぶ身心(みこころ)の生命工学につながっていることだ。
言葉を変えれば、わが師、橋本敬三医師が生涯原究しづつけてきた、自然法則の応用貢献を成そうとしていた姿に、松岡正剛がだぶってくるのだ。
だから、私は松岡氏の姿に感動してしまうのだ。
私の師も、私も、そして松岡氏も、きっと「神の声」を聞いている人達なのだ。
自身を越えた世界をもっている、それを使命として受け取り、愉しまれている。
そして、自分と、この使命にはまったく境界線がなく、使命のままに自分を使って愉しんでいる人達なのだ。