東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私が東京にでること、その師の心

おはようございまーす。4日目のブログです。今日も真夜中の午前3時40分、モスバーガーから発信しています。
4日目ともなると、みんな読み疲れてるんじゃないかな。100年後にふと、思い出して読んでくれてもいいんだよ。
では、真夜中のヤミに溶け込んでぶっ飛びます。


「私が東京にでること、その師の心」
卒業を間近に控えて、何かと気ぜわしい三月を迎えていた。そんな昼下がり、「三浦君、君は東京で開業しなさい」と師の声が飛んできた。今、ブログを書き込みながら、四十数年前の記憶をたどって行くと、その言葉の意味に、どれほどの思いがこめられていたことか、手塩にかけて育ててきた弟子に何かを託そうとしている、師の想いの深さを知ることができる。それは意志の決断である。


「こんなところにいつまでもいることはない」と、ものの見事に突き放す。師は私に「そうしてほしい」という願いを託したのである。


私は託されたことに響いて(ヒビいて)いくこと、それが弟子の使命であったように受け止めていたのであろう。


師は東京という固有名詞を使われている。ということは、どこで開業してもいい、と言っているのではなく、東京だと言っているのだ(なぜ、東京なのかも後にわかった)。大阪でも、福岡でもいいと言っているのではなく、私を東京に送り出したかったのである。
それは絶対なる師の意志決定だったものと思う。私以外ではだめで、東京以外でも絶対ダメなのである。


今、こうして書き込みをしながら、今にして全身に鳥肌が立ち、身震いがしてくる。


私は師の目を直視して生きてこられた。今でも師の目を思い浮かべ直視する。いつも師は笑いかけるやさしい目をしておられる。
人は自覚し、意識し続けることによって謙虚である。そして、師とのご縁を得て師の側にいさせていたヾける。そのような機会を得ればこそ、のちに縦的な霊性を得ることができる。師との学びの中で、物事(ものごと)の成せる成り立ちの本質を知り、真理を学んでいく、それが神性、霊性を実感していく尊い人生と云えるのだと思う。


私はお蔭さまで、先生の云われることにすべて「ハイ」と言える青年でした。とても、とても素直に「ハイ」と言えることができたのです。先生のコトバに素直に「ハイ」と反応できる自分が、とても誇らしげで好きでした。


この『ハイ』という言葉を考えてみると、全く私欲がないことに気づきます。そして、なに一つ疑わずに無条件に無意識に、受け入れていることにも気づきます。ですから、心がはづんでいるんです。ですから、先生の言いつけは素直に「ハイ ハイ」と言葉にでき、ワクワクするのです。


鍼灸学校に在学中、先生の書斎の本棚から、代田文志著、「鍼灸の基礎治療学」を手にして見ていたところ、「三浦君、興味があるか」と、先生が声をかけて下さり、「ハイ」と答え、私が「この本、コピーしてもいいですか?」とたづねると、「おまえが興味があるっていうのは、そんなに簡単にコピーしてすむことなのか?全部書き取ってしまえ、その位のきもちがないとだめだー!」と一喝されてしまったのである。先生の、その言葉の力に圧倒され「ハイ、わかりました。写します」と言葉にしてしまった。『ハイ、写します』と言っても500ページを越す、ぶ厚い本なのである。
パラパラとめくってみると、古い漢字が使われていて、初版何月何日発行、と印刷されていた。
早速原稿用紙を何百枚も買い込んで無心に書き取った。何ヶ月要したであろうか、半年はゆうにかかったであろう。書き上げた原稿を持って(持ってというより肩に担いで、と言ったほうがいい。何せその量たるやかなりの重さにふくれ上がっていたのである)


少々私は興奮して、やりとげたことに大満足していました(ただし、ただヾ無心に書き取っただけで、内容的には難しくって何一つとして頭に入っていなかったなァ。)


先生は目の前に分厚く積まれたそれを見て、「よくやったな。おまえが興味あるんなら、その著者がどんな思いで書きつづったのか、その心を知れ。よーくわかったヾろう。著者にこたえる、とはそういうことだ」と、さとされ、私は先生の前で小さくなっていた。でも、先生の目はうれしそうに笑っていた。



三浦寛