大阪に明治の森箕面国定公園というところがある。もみじの名所で、当然に紅葉を見に訪れたのであった。この公園の中には滝があり、その周辺には野生のサルが生息している。サルたちを見ていると紅葉より興味が湧いてくる。やはり人間に一番近い形をしているように思う。
観光客から奪い取った菓子を五本の指を器用に使って食べている。ノミ取りを見ていて感心するのは、実に細かい手作業をこなしているのである。
ふと、見るとサルの周りにいる観光客の中にサルによく似た動きをしているのがいる。どうやら中年のメタボおじさんのようだ。片手に缶ビール、片手にピーナッツを持ち、忙しく食べながら、ビールをグイッと飲んでは何か喋りまくっている。実に動作がせわしない。まったくもって落着きがない。サルよりもメタボおじさんの方がよっぽどサルらしく見えてきた。普段からこんな動作が習慣になっているのだろう。
動作というのは、人の心を表しているものだ。茶道や華道のようなおよそ道とつくものに精進されている方なら、その美しい動作からは心の静寂もみえてこよう。動作一つとってみても、そこには思慮深さというものが感じられる。
仮に今、頭をかこうと手を上にもっていくとしたら、決してサルのようにせわしなく、ノミをとろうとしているような動作になってはいけない。指ひとつ動かすにも無意識に動かすのではなく、頭をかこうとしているこの手の指は、ちょっと注目されている存在である。注目の的となった指はゆっくりと頭に届く。そしてゆっくりと頭皮をかくのだが、この時の心地よさを意識的に味わうのである。これが理想とされる人間の動作というものである。
操体の動診においても、動きが速いと注意されることがあるが、速く動くと、からだの感覚をききわけにくくなるのである。スピード時代に生きる現代人にとって速く動く習慣的動作は負の産物であろうか。サルとメタボおじさんを見ていて、反省しきり。
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