今日は東京操体フォーラムの理事長であり、私の師匠でもある三浦寛先生について書いてみましょう。
私の周囲には「ヒロ」あるいは「ヒ」がつく人が妙に多いのです。そもそも自分からして「ヒロミ」な上、父は「博」で、母は「ヒサコ」です。その他親類縁者には「ヒロアキ」「ヒデコ」「ヒトミ」等々、何だか知りませんがやたら多い。
そもそも、父親と師匠の名前が同じで、どちらも宮城に深い縁があるというのは何だか不思議なご縁だと思うのです。また、平相談役が仙台出身というのも、すごいご縁を感じます。いや、これはこじつけじゃないと思います。
そもそも、うちの屋号「TEI-ZAN」というのも仙台藩開祖、独眼竜こと伊達政宗公の諡号(貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名)の「貞山公」から頂いている位です。勿論、来仙時には橋本家のお墓同様時間の許す限り瑞鳳殿(政宗公の墓所)にもお参りします。
私は東京生まれですが、両親は宮城県出身で、仙台や塩竃近辺にには親類縁者が30人位います。小さい頃から仙台は慣れたところだったのでいつ行っても特別の場所ではなく「普通」の場所なのです。
もっと考えてみると、私の父方の祖父、畠山三左ェ衛門は1900年生まれで橋本敬三先生とは4歳違いです。祖父は私が高校生の頃亡くなりましたが、その後、橋本敬三先生の映像を見て音声を聞いて、最初に思ったのは『おじいさんとかおじさんと話し方がそっくりだ・・・・』ということでした(ご子息の承平さんとお話した時もそう思いました・・)。
この辺りは私が操体を学ぶにあたって、あらかじめセッティングされていた事柄なのかと思ったりもします。
話を師匠に戻しましょう。
操体の臨床家として最前線を走っているのはご承知の通りです。また橋本敬三先生の『操体は体系づけられてはいるが完成されていない』という後輩に託した意思を受け継ぎ、橋本敬三医師が糸口を作った『楽』と『快』の違い、『感覚分析』という診断分析指標の確立、操体の動診(診断・分析法)に皮膚へのアプローチ法の確立、連動理論の確立など、操体臨床に大きな変化と進歩を導入しました。このような橋本敬三の直弟子、そして愛弟子で操体の臨床家という姿は皆さんご存じだと思います。
ちなみに、10年位前に私が知り合いの某上場企業の役員秘書に聞いた話です。偶然にも彼女はムチ打ちで三浦先生のところに治療に通っていたそうです。ふとしたことからそれがわかり『世間って狭いよねぇ』とお互いに笑いましたが。彼女(A子さんとします)がムチ打ちをやった後、なかなか良くならずに困っていたところ、上司である役員の方に三浦先生を紹介されたそうです。そこで、三茶の治療所に行ったのですが、A子さんが予約時間に行った時、救急車がサイレンを鳴らさずに治療所のあるマンションの前に止まり、担架に乗せられた人が、三浦先生の治療院に運ばれてきたのだそうです。救急車を見て彼女も相当驚いたそうですが、もっと驚いたのは、暫くしてから、先程担架で運ばれてきたヒトが、スタスタ歩いて帰ったのを見た時のことだったそうです・・・・・。
師匠はよくコーヒーショップで原稿を書いています。愛用の黒いノートが何冊目になったのかは知りませんが、相当の量になっているのではないでしょうか。
一昨年前までは、東急田園都市線三軒茶屋南口側にドトールコーヒーがありました。三浦先生の数々の著書はここで執筆されたと言ってもいいでしょう。
私もよくここで打合せをしたり、原稿の相談をしたり、色々お世話になりました。この周囲にはプランターの植え込みがあり、小さいながらも木が茂っていました。当然ながら夏になると蚊や虫が出てくるわけですね。
ある時、用事があって私が寄ると、三浦先生は指定席で原稿を書いていました。そして何故かその横に『キンカン』の箱が3つ位並んでいるのです。
どうしたんですか、と私が聞くと、いつもこの道を通る人が下さったのだそうで。キンカン、というのはご存じの通り虫さされの薬です。そして実は、キンカンの本社は三軒茶屋にあり、キンカンに勤めている方は丁度ドトールの横を通って通勤するのです。おそらく、毎日植え込みの横で何か書き物をしている謎の人物をみて『蚊にさされそうだから、キンカンをプレゼントしよう』と思ったに違いありません。
キンカン社の重役さんだったりしたら、キンカン5年分とか・・・
ちなみに、師匠は姿を見た限りでは、何をしているヒトかよく分かりません。よく、画家とか小説家とか芸術家の類の職業ではと思われるようです。いつもお気に入りの帽子(同じのを二つ持っているようです)を目深に被り、口髭を生やし、銀のブレスやピンキーリングなどのアクセサリーが妙にしっくりくる様は勿論会社勤めのビジネスマンには見えません(笑)。最近は髪の毛も長くなり、たまに後ろで結んでいたりするのでますます何をしているヒトか不明です。いや、ご本人もそれを楽しんでいるのかもしれません。
また、師匠は49歳で車の免許を取ったそうですが(奇しくも私の父ヒロシも49歳で車の免許を取得しています)、『何で急に免許を取ったのですか』と聞いてみたら
『ポルシェが手に入ったから』
という答えでした・・・。
今はポルシェではなく、でっかいBMWに乗っておられますが、後にも先にもポルシェが手に入ったから車の免許を取ったというヒトには未だかつてお目にかかったことがありません・・・。
そんなある日、東京操体フォーラム理事の草階女史からある情報を得ました。三浦先生らしき人物がマンガに載っていると。私も早速そのマンガを買ってみました。
うちのごきげん本 (ダ・ヴィンチブックス) これは「ダヴィンチ」に連載された書評です。
『本の最後でうっかりドトールで読んでしまい、知らないオッサンと斜め向かい合わせの席で涙』
『ハンパな長髪の知らんオッサン(ちょい怪しめ)』
『しまった!と思う反面、三軒茶屋駅前ドトールのちょっとした秘境度がしっくり来ていた気もした』
そう、この「ハンパな長髪の知らんオッサン」というのがどうやら師匠なのでは!というのです。見た瞬間、私は確信しました。これはうちの師匠だ!!!★皆さんも是非読んでみて下さい。
★★ご本人も『これはオレだな』と納得しておりました。はい。
なお、理由は不明ですが、師匠はイートインでコーヒーを頼むのにテイクアウト用のカップで頼みます。そして砂糖は入れずにミルクだけをいれるのですが、店員さんが覚えていて何も言わなくてもテイクアウト用のカップで、ミルクを入れてくれます(原稿用紙にこぼすといけないからでしょうか?)。
そして一昨年の年末、三茶駅前のドトールは繁盛していたにも関わらず、オーナーが代わったためクローズしてしまいました(先のばばかよさんの話ではないですが、確かに秘境っぽい感じのところで面白かったんですけどね。秘境というかサファリパークというか)。
時は流れて5ヶ月。ドトールの後に上島珈琲店がオープンしました。ドトールのコーヒーが180円に比べて、こちらはブレンドで340円とお値段が少し高いのがナンですが、テラスがあり、ちょっとしたオープンカフェ風のお洒落なお店です。ここはすぐに師匠の新しい執筆場所となりました。例えば講習が終わった後、何人かでお茶をしたりする場合も大抵上島珈琲のテラスに行きます。そして、やはりここでも店員さんが覚えているので、テイクアウト用のカップで出てきます。
ここは人通りも多いのですが、やはりいつもテラスで帽子を目深に被って何か書き物をしている謎の人物が気になる人が多いようです。
たまにお母さんと子供が通り過ぎたりしますが、子供は興味を惹かれるのでしょうか、師匠のほうをじ〜っと見ながら通り過ぎるのです。子供を連れて歩いているお母さんは少し恥ずかしそうですが、師匠は『こんにちは〜』などど、子供に手を振ったりしています。たまに打合せなどで伺うと、誰かが師匠のテーブル席について話し込んでいたりします。ところが後で聞くと、師匠も知らない人だったりします。
ところで、上島珈琲の向かいには靴屋さんがあります。先日一週間迷った挙げ句(迷う程のこともないのですが)、夏物のグラディエータサンダル(ヒール8センチ)を買いました。レジで会計をしていると、店員さんに
『よく、上島珈琲にいらっしゃる方とご一緒ですか』と聞かれました(笑)
『はい(あははは)』
『あの方の周り、いつも人が集まっていますけど、有名人なんですか?』
『・・・・・・』
そしてつい最近、師匠と福田副実行委員長と、山本実行委員と三茶の横断歩道を渡っていた時のことです。師匠は歩くのが速いので、先に行ってしまいましたが、私の後ろにいた二人組の若い男性が『あ、あの人いつも上島珈琲にいる人だ!』と叫んでいました・・・・。
橋本先生の墓前にて。2008年秋