東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

不遜な心

昨日は、湿気と猛暑でフラフラ。
扇風機もエアコンもつけず、東京のど真ん中・世田谷でがんばってま〜す!(ちなみに、先月の電気代1021円、何と今月は863円!)

今日はブログの最終日。暑くなりそうですが、お付き合いの程、宜しくお願い致します。

さて、自分探しを初日で終えたと勘違いし、赴くままにブログを書いていたのですが、私がブレイクスルー(突き抜ける)できない理由がここにあると思い、もう一度初日と第3日のブログを読み直し、昨日から再び自分探しの旅に出かけました。
子供の頃の記憶ほとんどが、“境内での遊び”。
そして、空間を独り占めした時の、高揚感が、私の創造活動の原点だという気づき。
そこで、将来の“自分”をどのように映し出すことができるのか・・・・

自問自答してみることにします。

「佐伯惟弘よ、貴様は、本気で自分のことを、ノー天気おバカさんと思っているのか?」
「はい!」
「・・・・」

「佐伯惟弘よ、貴様には矜持があるのか?」
「あります。」
「では、それは何に対して?」
「子供の頃からの神社境内で遊びが、日本人造形作家としてのオリジナリテイーを産み出したことに対してです。」

(以下は、自問自答の文となるため、である調になるのをお許し下さい)

1979年 積み木展 筑波大学ギャラリー

1979年の夏にニューヨークへ行き、今まで学んできた西洋的構築的文化が、己の中には不在であり、己の中には縄文から流れる日本文化が存在しているという自覚が生まれたことから、直感的に創造されたのがこの積み木。

1979年 鳥居(作った後、鳥居に似ていると気づきました)

これは、釘も接着剤も使わず、ただバランスだけで空間を埋め尽くした危うい作品。

一般的に作品は固定し安全対策が必要な物として、考えられている。それを一切無視。
そればかりか、作品を中学校の生徒に壊してもらい、新たな造形物に作り替えたわけである。

つまり、自己を無にすることで、より次元の高い自己を感じることができた瞬間であった。
また、その過程そのものが最も生き生きとした時空。
そこには作り手と鑑賞者の境がなく生命体の本質=
生と死=創造と破壊の象徴が表現されていた。

今でこそ、私が提示した「積み木」のような、その場限りのアートをインスタレーションとよぶようになったが、30年前にはもちろん、そんな言葉は存在しなかった。
また、このような試みが最近、脚光を浴びはじめたが、私は30年も前にやっていたという事実にたいし矜持を持つべきである。

1回目の個展から、2回目の個展までの4ヶ月。
私は、考えに考えた。
1回目の個展では、現代彫刻の代表作家・篠田守男先生が「まだまだ緊張感に乏しい作品だ!」と真剣に答えて下さったものの、中学生が私の作品を壊すビデオを見ると、全くのコメントなしで、大笑い(見事なビデオ撮影をしてくれたのが、ポケモンのスーパーバイザ−・石原恒和氏)。
かなりの評価を受けた。

そんな中での2回目の個展。
普通に考えれば、バリエーション豊かに様々な形の素材を扱うはず。それをするのは、至って簡単。
なぜなら、造形作家としての手作業が楽しい空間を産み出すことは分かっていたから。
しかし、私はその選択肢を取らなかった。
あまりにも当たり前すぎる。

私が選んだのは、○□△。
つまり、木の輪切り。上から見ると○。横から見ると□。
それらをつみあげると△。これらの単純な形にこそ、秘められた力があることを直感していた。
そして、その形に人は踊らされ、人の本性が現れることを予感していた。

つまり、大きさに拘わらず一個の塊に力がある。その力が小手先の技でなく魂に直結する何かを動かすと感じ、
その力に踊らされる人々をビデオに収める事の方が、遙かに生き生きとしていると予想した。

直径30センチくらいから1センチくらいまでの、木の輪切りを1〜2トン個展会場に積み上げ、ある時は、床に敷き詰め、ある時は、下りの入場口階段に2m近くの高さに積み上げ、完全封鎖。
誰も場内に入ることが出来ない空間にした。
そして、中学生40名に積み上げた作品を壊して、会場に入ってもらい、全員で一つの大きな作品を作ってもらった。
この破壊と創造のエネルギーは、想像を超えるのもの。
この時に体感したエネルギーが、今でも原動力の一つになっている。

1980年 積み木によるコミュニケーション
(この時の写真は、京都で保管しているため、手元にありません。
紹介したのは、ビデオからのイメージ。犬も参加しています・・・見えづらくてゴメンなさい!)

伸びやかで迫力のある、しかも繊細な空間であった。
個々の積み木が、細胞と化し、巨大な生命体として動いていた。

1981年 積み木 in Hoboken
(ホボケン・ニュージャージーでの作品)
造形作品としての完成度はもとより、石原恒和氏のビデオ撮影は抜群であった(心より感謝いたします)。
それらの編集に3ヶ月かけ、東京ビデオフェステイバルで賞を戴き、ニューヨーク公立図書館にその作品が所蔵されていることに、矜持を持て。

           ちょっと休憩します
ここまで書いて、なんとまあ〜・・・私は、ここまで問い正さなければ矜持を確認出来なかったのか・・・と埋没していた海底の宝物を引き上げるような気持ちでいます。

でも、このように問いただしていくと、溢れるように言葉が出てきます。私の中に渦巻いていた思いが踊り出してきます。


             小休止終了

これらの作品制作中、感じたこと。
それは、この作品は芸術という範疇に留まるべきではなく、その壁をブレイクスルー(突き抜ける)すべきであるという予感であった。

ブレイクスルーへの試み1)教育
そこで早速、中学生に、作品を破壊・創造させたではないか。また、琵琶湖アートフェステイバルで制作した、100m×80mのグランドに子供達と2ヶ月に渡って制作した“鳶瞰図”にいたっては、新聞コラムに「教育に対し、一石を投じる作品」として認められたではないか・・・

1990年琵琶湖アートフェステイバル イン 沖島
(琵琶湖の沖島で、地域の子供達と一緒に作った作品)

傲慢な貴様は、それを当たり前と感じ、感謝していない。それが証拠に、それ以後、あのような作品を創っていないではないか。結果、教育に何ら影響を与えてはいない。
もっとも、イベントと称して、様々な場所で「積み木」を子供達に提供したことは認める。

ブレイクスルーへの試み2)医療
大宅壮一賞作家・野田正彰医師に認められ、木霊療法と命名。
その後、精神科の病院で芸術療法家として勤務したが、当時においては、まだまだ力不足。

1987年 月震 湖南病院
(会場に池を作り、天井から水滴を落とすと、水面に月の波紋が・・)

2年間で現場を離れたのは,正解であった。
医療の現場にかかわるようになった今後に、期待しよう。
ここに、貴様のオリジナリテイーが発揮できる場がある。
ブレイクスルーへの試み3)海外
この作品のお陰で、ロバート・スミッソン奨学金を得て、ニューヨークに行き様々なアーテイストと共に活動。

1982年 ニューヨーク・ダンステリアにて、舞踏家・白石ポッポ氏と
    共演

1982年 ニューヨーク・セントラルパークにて、イスラエル作家・エルダ ジッブと共同制作


1981年 ニューヨークのアパート 積み木のお散歩


1995年 ニューヨーク・バッファロー・アンダーソンギャラリー

1986年 イエニゴラ・ポーランド
ポーランド、ニューヨーク・バッファローアンダーソンギャラリースペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館、アメリカ・ケンタッキー バーンハイムギャラリー等での長期にわたる展覧会では、どのキュリエーターも、最高の評価をしてくれたではないか。
貴様のもっとも尊敬している芸術家のひとりであるジョアン・ミロ
そのアトリエだったところが美術館になった、そのジョアン・ミロ美術館では、もう一度貴様のワークショップをしたいとまで言われているではないか!

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館


2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    空絵


2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    砂利道を歩く

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    積み木道をバランスよく歩く 

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    6周歩き回り、10分間お休み

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    6月17日ワークショップ前


2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    7月8日ワークショップ後

2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    6月17日ワークショップ前


2004年 スペイン・マジョルカ島 ジョアン・ミロ美術館
    7月8日ワークショップ後


その理由として、子供たちのからだと心に変化が起き、歪みの矯正、心の安定を親御さんが理解し、キュリエーターのジョアナに伝えたではないか。

事実、準備期間を入れ2ヶ月に渡りワークショップを行い、子供達のからだの歪みが2週間でとれていくことを確認できた。


2006年 ケンタッキーの地方新聞 アートコラム


1995年 ニューヨーク・バッファロー・アンダーソンギャラリー
    積み木の杜中央部のお供え物(毎日お供えしました!)

しかし、貴様は不遜にも、心のどこかでその評価を当たり前であると受け取っている。

矜持と自慢とは違う。矜持には、認めて下さった方々に対する感謝の表れが存在し、それがため、ゆるぎない自信が湧き上がっているものなのだ!
しかし、貴様はその有りがたい人脈を生かすこともせず、
その後のブレイクスルーへの試みを怠っている。

実に、怠慢。
貴様のいう通り、ノー天気のおバカさん!!!


ここまで一気に書いて、やっと見えてきました。
感謝の気持ちが無いため、未だにフラフラしているということが、よく分かりました。
どこかに、私を認めて当たり前という不遜な心が宿っており、これこそが、ブレイクスルー出来ない大きな理由だったのです。

では、感謝出来たらブレイクスルー出来るかというと、そんな保証は一切ありません。
これは、最低条件。
あとは、神社の境内で遊び惚けた、あの時の感覚でどれだけ1点に集中して己自身を掘り下げることができるかによります。
幸い、私には、三浦寛先生という師匠がいます。
とにかく、師匠を真似ること。

・・・・・・・・私の中では、この1週間で人生のグランドデザインが、かなり、見えて来ました。この見えていることはまだ、言葉として表現はしていません。しかし、いずれ、数年後いやもっと先・・・・に堂々と書いてみたいものです。

後は、やるだけ。
いやはや、当たり前の結論。

それにしても、不思議な感覚でした。造形作家としての自分に向き合っていると、次から次へと言葉が溢れ、その将来まで語りかけてくるのです・・・・・・・・と、いうところで今週はこれでおしまい!


皆様、1週間のお付き合い、本当にありがとうございました。

さて、先日のことです、弟から電話。
「にいちゃん、この間、テレビでグラップラーバキの特集があったんじゃけど、にいちゃんとどんな関係じゃったん?」

「あんな、操体の同門にな、平直行さんゆう人がおってな。
グラップラーバキのモデルになったんじゃ。」

「そうか・・にいちゃんが、絵描いた言よったろ〜。」

「あれはのう、平直行さんが出した本のイラストを描いたんじゃ。今度、その本送ろうわい、かあちゃんにも見せてや。」

そんな会話の主人公・平直行さんが明日から登場です!
お楽しみに!!



平直行が行く身体感覚の宝島(出版社:BABジャパン) 
イラスト原版

佐伯惟弘


平直行が行く身体感覚の宝島―格闘技から武術への気づき

平直行が行く身体感覚の宝島―格闘技から武術への気づき


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催