東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

からだにききわける

ひとさぽというサイトがあります。
セラピスト専門のSNS(Social Network Service)で今年の春から始まりました。


http://hitosapo.com/


操体のコミュニティもありますので、
興味のある方は参加してみて下さい。
参加者はアロマなど、オイル系の方が多い印象がありますが、違う手技の方達と情報交換ができるというのはありがたいですね。



そこであった話題に、施術の際に声かけをするか、というのがありました。
掲載されている4コマ漫画で「肩からやりますね」という表現があり、そこから派生した話題でした。


ある方は、相手の感覚は施術者が感じ取る必要があり、声かけは一切しないとの事でした。(基本的なコミュニケーション以外でですが)
触れられてびっくりされるのは受け手に我があるという事でもあり、施術者は最終的に相手に気配を感じさせないようにするのが目標との事でした。
理由は施術者が聞くべきは患者の訴えではなくからだの声なのだと、その為には、施術者の憶測や思い込みは無くさなければいけないのだという事でした。


面白いですね。



操体法では、からだにききわけて、という表現を用います。
感覚をききわけ味わうのは患者ではなく、患者のからだであるからです。
からだの事はからだが一番よく知っている、治す事はからだにお任せすればいいというのが基本的な考え方です。
創始者である橋本敬三先生は治療など下の下だとおっしゃいました。


筋骨格を対象とした運動分析においては、施術者もある程度の客観的な判断ができます。
しかし、皮膚へのアプローチを視野に入れて、感覚をその指針にした場合、施術者が感じとれる事には限界があると思うようになります。
人のからだが持つ可能性は素晴らしいものがあります。


施術者としてはその一歩手前まで行く努力は必要であり、それが診立てともなるのですが、最終的にはからだにはかないません。
頭で考えて、からだの声を聞こうしないのは本人の我であり、最後まで自分のやり方をとおそうとするのは施術者の我であるのかなと思います。


お互いどこかで委ねるという事が必要である気がします。



辻知喜


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催