はじめに、先月発生した大地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、被害を受けられた皆さま、そのご家族に、心からお見舞い申し上げます。
私の住む地域でも、生活物資の流通は先月より安定してきたものの、原発の放射能漏れによる様々な心配、風評被害、落ち着いてきたものの計画停電による仕事の停滞、治まることのない余震、などで社会生活への不透明感は増すばかりとなっております。こんな時だからこそ、今回のブログのテーマである、性、SEXについて真摯に取り組みたいと思います。
SEXという性行為は、人間が誕生してから脈々と営まれている。
同じ地球の生命体でも、性交し快感とともに種を残した後、その成長を見届けずに死んでしまう種もいるし、人間やねずみなど数種を除いて、性交、交尾する時期も決まっている。このようなことを考えれば、人間は大いなる存在によって許された存在であり、その性行為には種の保存という側面以外にも、何かしらの意義があると感じます。地球上で文化、文明を創造できるのは人間だけであり、その人間が互いに力を合わせ何か(物質面だけでなく)を創造、生成、発展させる為の活力とさせる為に、人間は種の保存という大前提だけに限らず、その快感を季節に関係なく味わうことを許されているのだと思います。だからお互いに消耗するだけの行為であってはならず、生きることに前向きになれる行為としなければならないのではないでしょうか。
その前向きな行為とさせる為の根本にあるのは、貪るということでは決してなく、神や仏といわれる大いなる存在が無償の愛を人間に注いでいるということを自覚し、それを手本とするように、人間も人間に見返りを求めない愛を提供するということではないでしょうか。つまりgive and giveであり、SEXは基本的には異性の個人と個人の性交であるので、そのお互いがgive and giveで交わったなら、そのエネルギーは愛と結びの快感を生じさせた後、新たなイノチを授けたり、お互いが生きる為の意欲と自信の活力を与えるようなtake and takeに質が転換されてくるのではないでしょうか。
その個人と個人のお互いに生じた活力は、集団で互いに力を合わせ何かを創造、生成、発展させる為の活力となってくる。
このgive and giveの精神は、人間として生まれてきたからには潜在的に誰でも備わっているもので、SEX以外のことでも活きる、また生かしていかなければならない精神だと思います。
操体の創始者橋本敬三先生は、臨床の場で「治すことまで関与するな」と言われていたと聞きます。病気は医者が治すものだから治してもらいに来たという人にしてみれば、不思議に思うかもしれませんが、治しているのはまぎれもなく「からだ」に備わった治癒系のメカニズムであり、その原動力となるのが快適感覚であるということが理解できれば、操者(施術者)は「治す」「治した」という見返りを求めずに、ただただその快適感覚をききわけ、味わってもらうことだけに集中して奉仕しろという、give and giveの精神を持てといっているように感じます。
また一ヶ月前の大地震では、随分と物資の不足する事態となり、被災地ではまだまだ困難な生活を強いられている人たちが沢山おります。
このような時こそ、give and giveの精神を生かす時なのではないでしょうか。不安感から買いだめしてしまうような移ろう心は拭い去り、奥の真心を磨きその光を放たせる時だと思います。
ちょっとのことからでも良いと思います。こちらも少し前までは物資を送ろうとしてもその物資がなかったり、輸送手段さえなかったのですから。逆にひけめと感じて自分を責めることはしないようにと思います。
まずは気持ちが大切です。その気持ちを持ち続けることにより、自然とそれが言葉となって現れるでしょう。その言葉の力は巨大な力に増幅されて、かたちを創っていきます。逆に風評被害の加害者なってしまうような言葉は慎むべきです。このような時こそ言葉の持つ偉大さを自覚し、清く、正しい言葉を発していきましょう。
小さくともひとつひとつのgive and giveの精神は、すべての人達にイノチには無量寿な慈悲が元々貫かれているということを再認識させることとなり、物質中心(優先)の今の世の中を超越した新たな次元の、文化、文明を生成させ、発展していく原動力となっていくのではないかと思います。
立ち上がれ、光を放て
日いずる国よ
そして新たな世界の模範となれ。
友松 誠。