心とからだ、よく使われる表現です。この2つは切り離せないものだといわれますが、心ってどこにあるんでしょうね。
心の問題はからだに現れますし、からだに問題があれば心にも影響を与えます。
金剛般若経に、
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得
とありますが、過去は現在の願望を多分に映し出すものと言われますので、実体はないもの、未来は過去と現在を反映するものなので、不確定なもの、現在は常に移り変わるものなので、とらえどころのないものでしょうか。
過去も未来も現在からの視点を元にしているので、現在そのものが捉えられないのならば、過去も未来も捉えられないものですね。そこにあるのは自我。
思うとか考えるということは常に過去を材料としているのであれば、現在はその瞬間瞬間を感じるしかないのでしょうか。
操体では、頭で考えずに、からだにききわけなさいと教えます。
移り変わる今を感じること。意識ではなく無意識の世界です。
自我があるうちは、なかなか実体はつかめないけれど、手放して委ねてみるとまた見えてくるものがあるのかも知れません。
心について好きなうたを一つ。
心こそ 心まよはす 心なれ 心に心 心ゆるすな
(不動智神妙録 沢庵)
辻知喜
東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他