東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

バランス〜『軸』を統率するもの

地図、北極星、コンパス、ナビゲーションシステム。
全く知らない地域も安心して動ける範囲は広がっていく。

ただ、いつの時代においてもそれだけではない、独特の”勘”は大切にされる。
いつものルート、いつも通りの流れには、同じところにたどり着いているようで、
同じ経過や同じ結末になるとは限らない。むしろ異なっていることが多い。
生物学においても、
環境に関係なく、同じことを繰り返している、というのは結果として退化に過ぎない。

脳は記憶と学習を反復して、それを駆使しようとするが、
新たなことに対応しているとは限らない。
むしろ、意識されていなければ簡略化された方法をとっている。

例えば、目の前に全く見たことのない果物があったとしよう。
まず味わう前に、見て、嗅いで、触れて、判断して、
食したければ口に入れてみるのだろう。
口に入れたものの、いつでも、常に何かを感じ続けている。

そこで初めて、”飲み込んでみたい”という”要求”に満たされればこそ、
嚥下はおこり消化吸収さらに排泄、という無意識に繋がっていくのである。
それを、天然、自然の成り立ちとするならば、「快」と「怪?」の違いもわかる。

そして違いではなく、比べられない!といってもいい、のは「快」である。
「楽な状態」とは、特殊な環境であって永遠に続くものではない。

「楽な状態」を当然と思っていては、危険な状態なのではないだろうか。
便利な状態を受け入れてしまうと慣れてしまう、それはマヒしているのだ。
「アッ!それって知ってる〜今評判だよね〜美味しいよね〜(パクッゴックン)」
というのは「からだ」の関与しない、情報操作された脳の横暴であり、
現代社会の生産した(安全性?)管理システムではないか。

私たちそのものは「イノチ」の集合体である。
本来は、歪みを生じるからこそ、自らの生命を救う鍵を握っているのである。

子供はそもそも無理をする。
それは学習となって、その都度勘違いを指導してもらえる機会は多い。
しかし、大人こそ本当の無理をする。
そこで知らなかったこと、勘違いしていたかもしれない・・と知って欲しい。

起こってしまった下痢を、無理矢理止めるのは危険というのは、
一般的な医学的常識でもある。
起こってしまった歪みこそ、私たちの「からだ」にとっては、
有り難い元に戻るチャンスなのだ。

調和しているとき。
これは間違いなく、きもちがいい。
そこから何をしてもいい状態であり、なにものも受け入れるから。

偏っていればどうか。
まず、何をしても受け入れがたく、還流効率が悪い。
それは、気持ち悪い。必ずわかる。これは生命の意志。

なぜなら、イノチあるものは常にバランスを取る方向に向いていく。
つまり、調和していくことは生命の意志でもある。

一定の歪みが生じ「からだ」にとっては不快な状態を、
元通りとするには『きもちのよさ』として感じられるかどうか。

それさえ面倒にしてしまえば、『からだ』任せにした”ツケ”を自己責任で背負っていく。

生かされし己の責任において行うこと、これは最低限度の『楽』ではなく、
最低限で『快』くらいは、喜んで自己責任を負いなさいということ。

”法句経”には、こんなたとえがあります。

「水道を作る人は水を導き、

 矢づくりは箭を矯めす。

 大工は木材を矯め、

 智者はおのれを調える」

今日も働いた自分のご褒美にビールもいいけれど、「からだ」に感謝を忘れずに。



                                岡村郁生

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。