東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

快は元々。・・・その1。

おはようございます。
秋の操体フォーラムも昨日無事に終了しました。
ご来場の皆様方、ありがとうございました。

さて今日も、「楽」は人間の心(自我)をとおしたもので、「快」は、元からあるものとして考えていきたいと思います。では「快」の根元とはどのようなものなのでしょうか。
昨日のフォーラムでも少し話がありましたが、2ヶ月ほど前の、残暑厳しい中での京都のフォーラムの時に、理事長である三浦寛先生は、「陽子と中性子で成る原子核は意識と意志を持っている。人間のからだも目に見えない原子核によって、一つの有機体として現象をおこしているが、有機体としての人間が意識と意志を持つ以前に自分を成り立たせている原子核が意識と意志を持っているということなのだ。」そして「原子核の意識や意志は孤独ではなく、調和やバランスという方向性をもっている。」と仰っていました。
私達のからだは約60兆個の細胞から成り立っています。細胞は分子の結びつきからできており、分子は原子と原子が結びついてできています。そして原子は原子核と、その回りに引き付けられた電子よりできている。さらに、原子核は幾つかの陽子と中性子が結び付いたものです。もっと突き詰めればバリオン、そしてクォークといった素粒子の世界になり、素粒子はエネルギーから、そのエネルギーは波動から生まれ、波動は運動から、その運動は陰と陽があるから生まれる。そして陰と陽を設定したのは無極無限のおおいなる「イノチ」である太極である。その太極の意志が、この世のありとあらゆるものの起源となっている。だから、太極の意志はこの世のありとあらゆるものに普遍的に貫通している。あらゆるものが太極の意志(愛とその法則)を引き継ぎ、調和しながら結びつき、結ぶついた集団はまた新たな調和に向かっていく。
あらゆるものの起源という事までさかのぼってしまいましたが、あらゆるものの性質を決定付けている起源といったら原子であり、原子核なのではないでしょうか。原子核の陽子は(+)の電荷を帯びており、そのままではお互いに結びつくことができない。そこで電荷を帯びない中性子が間を取り持って結合し、電子(−)を纏いそれぞれの物質の性質を現わすようになる。すばらしい調和です。勝手な想像をすると、陽子には太極の意志を引き継ぎながら、その意志を「こう具現化したい」という個性的な愛の意志があり、そういう波動で結ばれてできているのが陽子なのではないでしょうか。しかし水素は別として単独ではそれが不可能だ。だから同じ意志を持つもの同志が中性子を介して結びつき、具現化しようとする。中性子はその具現化の意志に賛同する意識の波動で結ばれてできており、調和の力を発揮する。この陽子と中性子の調和は何によって可能になるのかといったら快の方向性によってであり、起源にさかのぼったところから双方が愛とその法則を引き継いでいるから、快によって調和が成される。つまりこの現象界に存在すること自体が快なのであり、元々が快から生じているのだと思います。そしてその愛の意志と調和の意識を持ち、自律しながら四方八方に次々と調和しながら次々と枠を超え、目に見える像を表している。
よりよく調和が成される為には不快も必要になってくる。不快とは太極の愛の道を踏み外さない為の警告信号であり、その時間・空間の環境ではまだ調和できないというサインだ。その時点ではその方向性へは従わず、快の方向へと進み、調和を高めていけば良い。警告が無くなれば、質の転換が図られる時であり、その方向性とも快によって調和がなされてくる。そのようなバランス現象の上に、この世の全てのものは具現化しているのだと思います。

これだけでは「楽」と「快」の違いになっておりませんが、長文になってしまったので一旦ここで区切って、続きは明日とさせていただきます。

つづく。


友松 誠、