おはようございます。
昨日とはうってかわって随分暖かいですね。
今日で今回のブログ担当は最終日となりました。当初、11月の初め頃に担当になると、順番を確認していた頃は、ちょうど紅葉の写真を載せるのにいい時期だと思い、バイクのキャブレターの掃除とプラグも交換して、出かける用意をしていたのですが、つい最近まで暖かい日が続いていたこともあり、うっかり忘れてしまっていました。それ程こちらの地方は暖かく、紅葉の季節という感じの空気ではありませんでした。現に私の仕事場の裏庭では桜の花が一輪だけ、昨日の冷たい雨にも負けず、まだ咲いています。
紅葉の写真を載せる予定が、まさか桜の花を載せることになろうとは思いませんでした。
「人〜生ぃ 楽ありゃ苦もあるさ〜」子供の時からよく聞く、おなじみのフレーズですが、現象界の横のひろがりのことだけで考えれば、ほんとにそうだと思います。しかし、実相の真理がタテに貫かれたうえでこの世は成り立っており、私達は元々救われており、生かされて生きています。不平不満の気持ちが頭をもたげてきたら、実相を想えばいいのだと思います。
実相は「快」であり、生かされて生きていく道程には「不快」のサインも生じるが、サインはサインであり苦痛そのものではない。有り難く受け取り「快」の方向へ調和していけばいい。「快」によって調和は成され、その調和は尽十方であり、道は無碍自在です。「苦」に縛られて「快」を見失うなかれ。「楽」に溺れて「快」を見失うなかれ。実相は誰のからだにも宿っており、自然法則が貫かれています。だから「からだに気持ちよさをききわければいい」元々は有り難く出来ているようです。
横のひろがりの中では、色々な「楽」がつく言語があります。「快楽」に溺れる、「享楽」にふけるなど、そのままいくと身心の不調和、自分と様々な環境との不調和を招くものを意味する言語。逆に「楽しい」「楽園」など、人間が理想意識をもってより良く生きていく為の、(横のひろがりの中での)共通認識としての言語もあります。
理想像をもって生きるということは、大変重要なことです。しかし、その理想像もタテの真理と調和しなければ、時間・空間の環境の中で脆くも崩れ去ってしまう。真理は自然法則の内にある。自然法則を学び、応用して付加価値をつけていくことで「楽しい」「楽しむ」も生きてくる。それが全ての人の共通認識となれば、この世も「楽園」となるのではないでしょうか。
だから「楽」と「楽しい」も識別が必要なのではないかと思います。私も含めて「楽しい」を活字にする時、「愉楽しい」とする人は多いと思います。「愉楽しい」とは自然法則の学びを深め、応用し付加価値をつけ人々に貢献し、四方八方「快」によって調和し、その感動のヒビキが「愉楽しい」となるのではないかと思います。
一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。
来週は「愉楽堂」の屋号にて操体の指導、臨床を行っている中谷さんの担当になります。
エンターテイナーの登場です。きっと愉楽しいですよ。
友松 誠。