東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

いただいた色紙より。

おはようございます。
今日は2月5日、2と5の語呂合わせで、いつもニコニコと笑顔になっていようという日です。
何の企みもなく、素直で真っ直ぐな笑顔。
朝から、そんな笑顔がつくれたら、今日一日が最高の一日になるのではないでしょうか。


今回のブログのテーマは「自分にとって操体とは」です。
このテーマを聞いて自分の中で真っ先に浮かんだのは次の言葉です。

   操体とは、この命の永遠の記憶を呼び起こすことです」

これは私が始めて参加した秋のフォーラムでいただいた色紙です。
もう、かれこれ10年近く前となりますが、常にこの言葉を意識していたと思います。


真理はシンプルなもののようですが、真理を真理として立たすことが出来なければ意味がない。
自然法則は絶対だが、知らなければ意味がない。知っていてもやってみなければ意味がなく、やってみて感覚することが大切となる。アタマで考えて理解しようというのではなく、自然界の一部である、からだで体感すること。
自然法則と真理は自在してあるが、時間と空間のかかわりあいの中で、そこに存在する人間が真理として立たせている。その人間が「今、ここに」の中で、感じることで真理を真理として立たせている。
その立たせ方は無限にあるはずで、その感じ方も無限にあっていい。もともと観自在。
しかし、アタマで考えて、理屈づけようとすると、自在性は失われ、自ら限界をつくってしまうことになる。思考するのも大切なことだが、まずは体感する。
生命は「快」に従う。これも絶対的だ。イノチの起源を辿れば、愛と調和という太極の意志にいきつく。その意志に共振したエネルギーが、「快」により、つぎつぎと調和し、かたちづくられ、この世界を形成している。人間もその一部であり、人間のからだには快によって調和してきた記憶が宿る。
もともと観自在であり、生かしてくれているこの環境の中で、よりよく生きる為の引き出しは、細胞一つ一つに元々備わっている。だから、「気持ちよさ」をからだにききわけ、その気持ちの良い感覚を十分に味わえば、調和が成される。そして、「快」によって調和が成されれば、自我によって歪体化させてしまった健康度も可逆的に整復復原が可能となってくる。真理はシンプルなもののようです。
時間、空間により、人それぞれ快のききわけは違って当たり前。ききわけさせ方も無限にあるはず。しかし、そこには一定の法則が自在する。自然法則の応用、貢献をどれだけできるかということになってくる。これでいいということはない。日々、体感しながら学び続けていくことで、何かが観えてくる、と感じます。


操体とは、この命の永遠の記憶を呼び起こすことです」
この色紙の言葉を今日も意識し、「有り難う御座います」の言葉と共に呼吸をとおす。

一週間どうぞ宜しくお願いいたします。


友松 誠。