東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私にとって操体とは(5)縦軸と横軸

橋本敬三先生は、操体の創始者のドクターである。
私は橋本先生の側で過ごした先輩方の話を色々聞いているが、面白いと思うことがある。
橋本先生をカミサマ扱いするヒトがいることだ。
1999年の全国操体バランス運動研究会修了後の二次会か何かで、ある操体の指導者が、酔っぱらったついでか、喫煙の害について大声で話はじめた。それはタバコの害毒についてであり、喫煙者だけが悪いのではなく、喫煙を許している周囲の人の責任もあるのだと言う。私は同行者がタバコを吸っていたので、私もその指導者に「注意しないあんたが悪い」とお叱りを受けた。
私が「橋本先生もタバコを吸われていたようですが」と、突っ込んでみると、その人は「あれは、患者さんの中にはタバコを吸う人もいるから、それを思いやって、吸うフリをしていた。ふかしていただけで、吸ってはいない」と言った。
大笑いではないか。

映像では、橋本先生がくわえタバコで臨床に臨んでいる姿が映っている。時代が時代だから、当時大人の男性は大抵タバコを吸っていたのだ。

ここには、
自分は嫌煙を訴えている→橋本先生はタバコを吸っておられた→自分の主張と違う→橋本先生が喫煙していたことはどうもマズい→吸っていたのではなく、ふかしていたことにしよう
という、彼の都合のいい捏造が入っている。

橋本先生は、90歳の時、大腿骨頭を骨折されたが、その原因は、タバコを拾おうとしての転倒だったと聞いている。先の方が橋本先生をカミサマ化しているのだ。

それはさておき「操体」は時に「その人間を試す」試練にもなる。シンプルに言えば、操体は「こうすればいいよ。こうすれば健康で幸せに暮らせるよ」というヒントを与えてくれる。
一方「やるやらないはテメエの勝手だよ。バチが当たるも当たらぬも、自己責任だよ」と言っている。
「自己責任」に負けてしまう人もいる。

いつも思うのは、縦と横のバランスである。私達は縦(天と繋がる軸)と、横(この世)の軸で生きている。絶対と相対みたいなものだ。縦に伸び、天に繋がる崇高な精神への憧れがあるからこそ、という気持ちがある。一方横軸は実際私達は生活しているわけだから、仕事や雑務などにも時間を割く必要がある。この辺もバランスなのだ。

ニーチェは天啓を得た後「あちら」に行ってしまい、その後は廃人として生涯を終えた。ランボーは若くして天啓を受けた後「あちら」にとどまらずに、「こちら」に戻り、商人として生きた。

操体の勉強も同様で、余りにも「縦軸」指向ばかりだと、バランスがとれない。私達は「救い」の元に生まれているのだが、実際「報い」の世界にも生きているのだから。

操体の勉強をしている方々の中にも、縦と横の軸に引き裂かれてしまう人がいる。

ある人は「操体を勉強するにはメンタル的にタフじゃないと・・」と言った人がいた。操体とお友達程度のお付き合いは楽しいものだ。
友達程度ではなく、真剣に対峙するとなると話は別だ。確かにタフでないとやっていけないかもしれない。

タフというのは何も「鉄」みたいに強くて固いというわけではない。
例えば、縦軸ばかりに目が行ってしまうと、横軸がおろそかになる。崇高な目的を抱いた自分の中に、地面に足をつけた、生々しい、たまにはアホなことや間抜けな失敗をする自分がいることを素直に認めないと、引き裂かれてしまうのではないだろうか。

逆に言えば、横軸しか見えないというのも困る。

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橋本先生の話に戻るが、美代子さん(温古堂での橋本先生のお世話役兼受付嬢をされていた)によると、橋本先生は、機嫌がいい時と悪い時の差がとても激しかったそうである。勿論、親しい美代子さん故に「あたる」こともあったらしい。その他にも彼女からは「へ〜え」という話を沢山聞いた。
それを差し引いても(?)素敵な人だったと聞いている。

三浦先生からも色々な「秘話」をうかがった。
詳細は書かないが、橋本先生をカミサマ扱いしているヒト達が聞いたら、多分泡を吹いて卒倒するだろう。
逆にそういう人間的な「横軸」のところもあるから、魅力的なのかもしれない、