操体を学んでいると、色々な気付きを頂く。
人間は約60兆という細胞で維持できている。
一日に入れ替わる体細胞数は、なんと3000億個にもなるらしい。
自分を映しているように見えている鏡は、他者を映しだしている鏡でもあった。
この世に生まれ落ち、この世を去るまで他者との関わりによって生かされている。
もっと身近な例を挙げてみよう。
植物で言えば水分を吸い上げている根っこに相当する、人間の小腸や大腸に棲む腸内細菌は、
100種類以上100兆個と言われ、成人では1kgを超えている。
さらに表面の皮膚には、湿度によって異なる微生物が共生しており、
乾燥していれば1平方㎝あたり1000個以上、湿潤した部位ではなんと100万個を超えている。
他の部位を含めた場合には、自分の細胞数60兆のその百倍になってしまうのである。
『操体』との関連で言えば、要するに生き方の自然法則であり、環境のことに繋がる。
つまり細胞レベルでミクロの視点であれば、自己と他者の境界とは、限りなく曖昧になってしまう。
これは、成せる者が成すように、真理を分け合ってできているのであり、
与えられたモノゴトを、噛み砕こうとする努力を忘れなければ、
見えなくてで説明できないことも、説明できるようになり、
みる人しかみえないことを、こちらでも”観える”ようになっていく。
「気持ちがいいか悪いかってのは、患者本人に訊いてみなきゃわからない」と語る。
つまり、患者の動きひとつにもオクタント(極限安定律)で分類すれば八方向に動かせる。
その『楽』な動きを分析して(=運動分析)一番『楽』な方向へ動かして、
一番感じの良いところで『撓め』をつくったのち、瞬間的にかつ急速的に力を抜かせる。
これが初めに動きありきの『D1=第一分析』の動診と操法。
その一番感じの良いところとは、簡単に言えば、生命にとって最も負荷のかかった部位でもあり、
それを作ったのは、誰でもない本人であり、ルールの積み重ねであり、その通信簿の指導記録となる。
ではなぜ、負荷はかかったのだろうか。
それは、本人の行う最小限・最低限の責任生活必須条件を満たしていないから。
『息』『食』『動』『想』+『環境』にある法則性、これだけは知っておいたほうがいいルール。
これを患者本人に伝えていく理由もここに生じてくる。
だから橋本敬三先生は面白いことを放言する。
時に内弟子にはこんなことも・・・。
「相手の気持ちがいいってところがわかる、これがプロ(フェッショナル)だ」
つまり、感覚を磨きなさい、経験を積む中でしかつかめない感覚なんだから、というのである。
そして三浦理事長は『操体』および『操体法』を継承していくなか、
真理から成り立つ法則を、操体法として具現化して指導している(詳しくは操体法東京研究会で検索)
勿論、簡単ではない・・・がかといって、
・自分にはできるはずがない。「言い訳しているけど、何が問題なの?」
・できる人は特別なんだから。「言い訳はいいから、何が問題なの?」
三浦理事長の『操体』には”迷い”がない。ここを理解していく過程こそ学びとなる。
『操体』は次世代に入ってしまったのである。そんな言い訳を吹き飛ばしてしまうのだ。
積み重ねて突き詰めていく価値はある。このように橋本敬三先生も書いている。
「私くらいの経験があれば患者に聞かなくても、 気持のよいところも緊張がとれているかどうかも、
指の感覚でわかります。これは経験を積むなかでしかつかめない感覚です」
とあり、ワタシの言葉で言うなら・・・、
知っていればなおさら、知らない人はそれなりに『第一分析=D1』で『操体法』を通せる。
知れば知るほど、唸るほどの納得を繰り返し通してみて『楽』と『快』の違いを理解し『第二分析=D2』を通せる。
玉手箱かびっくり箱か。ワタシも開けておいてよかった、ウソか本当か試してみて救われた『第三分析=D3』
学んでいれば、飽きることなんてありえない(これ本当)
例えるなら、入り口もはじめはパンダに似て友好的なので、誰でも「ニーハオ!」というイメージ。
しかし、パンダの行動は今もってなお不可解なことが多い、例えば一緒に寝泊まりまで出来ない(理解できていないから)
ともあれ・・・今月22日、千駄ヶ谷駅すぐ目の前、朝九時に開く津田ホールにて・・・皆様をお待ちしております。
今日もあなたに学ぶ。『からだ』にありがとうございます。
岡村郁生
2012年春季東京操体フォーラム研究会は4月22日(日)東京千駄ヶ谷津田ホールで開催致します。