東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『全略、俺様!』

東京操体フォーラムの実行委員が週代わりで順番に書いているこのブログですが一巡ごとに必ず1週間緊張しながら読んでしまう週が在ります。大方察しはついていると思いますが東京操体フォーラム理事長三浦寛先生の担当の週です。勿論名指しで誹謗中傷される訳でも指導監査が入る訳でもなく、ブログの読者の皆さんに操体の今の姿、ご自身の体験の中から発せられた言葉で綴られるブログなのだけれど時々私自身の心配事や日頃の行いを見透かされているような内容の日が在るのです。
前回の三浦理事長の週では特に3月14日の『若き日は』を読んだときは本当に自分自身がが恥ずかしくなってしまって裏庭に穴掘って隠れようかと思ったくらいでした。

今の自分自身に「泥にまみれて働いているか?」といったらYES!と断言する自信が在りません。このことはは三浦理事長に対してという訳ではなく、自分自身に対しての冒涜ではないかと思うのです。本当に自分自身に対して真剣に向き合い生きて行こうとしているのであれば自分をより高めよう、自分自身の思いを実現しよう、自分自身がより社会の役に立つ人間になろうと必死になって泥にまみれて走り回っているに違い在りません。

仕事が忙しいとか、お金がないからとかそんな理由で言い訳にして自分自身を押し殺してはいないでしょうか。私達ほからだは息・食・動・想という最小限責任生活の場において同時相関相補連動性となっています。要するに私達が生きて行く上で欠かす事が出来ない呼吸と食事と運動と精神活動はお互いに関係し合いながら調和していて、その内どれか1つでもバランスを崩してしまうと、その他の3つの活動にもネガティブな反応を起こしてしまいます。しかし一方で現在バランスの崩れた状態に有ったとしても、またその内の1つでもバランスを回復していくことが出来れば、その他の活動にもポジティブな変化を引き起こすことが出来るのです。自分自身を肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるか。これは精神活動における重要な問題です。

そういえば操体法東京研究会で学んだ20代の頃整骨院の雇われ院長をしていた私に三浦理事長から「操体勉強するんなら汗水たらして働く仕事をしろ。朝日が昇って日が沈むまでの仕事な。思いっきり(操体に)浸かって勉強してみろ。」と貰ったアドバイスを実践して始めたメッセンジャーのバイト、東京の街を自転車こいで真っ黒になりながら暑い夏の日も雪の降る寒い冬の日も2年間位そんな生活をしていましたが、今考えてみるとそれまでの人生の中でも一番生きているという実感のあった2年間だったように思えます。

あの頃の自分自身が今の自分をみたら、なんて言葉をかけるのだろう。

「まだまだそんなんじゃ。あなたのイノチは微笑んでくれませんよ。」


全て汝の手に堪うることは力を尽してこれをなせ

旧約聖書内の伝道の書(コヘレトの言葉)9章10節