東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

般若身経からはじまる・・・3。

おはようございます。

 誰でも効果をあげられる操体法とするには、操体法の表面だけではなく、
その奥にあるものも、知れ渡っていかなければ、誰でも効果をあげられる
という事にはなっていかない。
 その奥には快(気持ちよさ)で良くなるという真理があった。楽な動き
で良くなっていた訳ではないのだ。だから橋本敬三先生も晩年には、やり方
こそ第一分析でも、その特徴である、2、3秒間のたわめの間を設定し
一気に瞬間急速脱力に導くといったような、操者のきめつけを除外した内容
の取り組み方をされていたのだと思う。
 そして奥にある真理を確信した上で「気持ちよさをききわければいいんだ
気持ちよさで良くなるのだからな」という発言となったのだと思う。

 しかし、橋本先生の御存命中は快に対する操法の体系化は、時間的に間に
合わなかった。その意志を尊び、遺志を引き継いだのが三浦寛先生であり、
三浦寛先生によって一極微の動きから快(気持ちよさ)をききわけ、快を
味わう(操法)という第二分析の体系化がなされた。
 これによって、第一分析にあった不確定要素も取り払われた。つまり、
キチンと取り組めば、誰でも効果があげられるようになったのだ。
 これは、橋本敬三先生の悲願の一つでもあったと思う。

 この第二分析の体系化と般若身経のからだの使い方、動かし方の法則
からの、身体運動の法則の深化と進化は連動していると思える。
 第一分析の頃は、全身形態の連動について、運動系は中枢神経を介して
合目的に連動装置になっており、中枢神経を介して基本的に8方向に連動
する、という事までであった。具体的に、どこをどうすれば、どのように
連動するかまでには及んでいなかった。

 この連動の法則の具体化に取り組んだのも、三浦寛先生だった。この取り
組みも並大抵の事ではない。形態を有し、イノチを宿して動く、その人体の
動きの連動性なのだから。
 みんな一人一人個性があるのだから、連動の仕方も違って当たり前という
捉え方では、連動の体系化など出来ない。自然体であるならば、当然この様
な連動が起こるという、自然法則の解明が必要となる。

 では、この自然体であるならばとする、自然体としてのあるべき姿とは
どういうものなのだろうか。
 多数の統計をとり、その平均値を求めたものでないことは明らかだ。
 橋本敬三先生の言葉をお借りすれば
「人が正しければ容姿はおのずと端正となり、骨格は整い、筋肉は拘筋
することなく、内臓はその地位に安んじ、機能も互いに相調和し、身心
共に健康である」
ということだ。

 この自然体としてのあるべき姿を具現化しようとすれば、おのずと自然
の法則が必要となる。つまり、からだの使い方、動かし方の自然法則である
「般若身経」だ。「般若身経」によってしか、自然体としてのあるべき姿は
体現できないのだ。
 そこから、からだの動きは8つきりしかないという事に基いて、末端関節
である手関節、足関節の8つの動きからの、全身形態の連動性を探り、体系化
させていくのだから並大抵の事ではない。
 正に、天にお伺いを立てながらの取り組みだったと思う。
 実際に先生は自分の持論で終わらぬよう肝に銘じ、「橋本先生だったら
どうするだろうか」と常にその成さんとした事の、真の意志を念頭に置き、
取り組んだという。
 そのお陰で、連動の仕組みが明らかとなり、第1分析での不確定要素は
取り払われて、第2分析へのシフトチェンジが可能となり、誰でもキチンと
取り組めば効果をあげられる操体法となってきたのだと思う。

明日へ続く。

操体法入門 足関節からのアプローチ

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