毎日の日々が学びの場である。日々毎日が人生の本業、
日々一貫したテーマをもって、学び続けている。
すると、自分自身の本質度に変化がみえる。
一年の積み重ねによって、どれほど変化を見せるのであろう。
その変化の中で、朝露にぬれたハスの葉から、
一滴の水滴が水面におどりこぼれるように、
突然、唐突に、一度に、すべてがつながって、
わかりかけてくることがある。
わかりかけてくることを、日々毎日くり返す。
コツ、コツと、
赤ん坊のハイハイのように。
腹歩行する言葉にならぬ声を発して、
そして六ヶ月、一年、ハスの水玉に朝光がこぼれ、
ポチャンと水面におつる。
水面は輪を描く。
そして広がっていく。
また気づきが生まれ、
一つ一つがつながり、真理の証に近づいていく
そうしたプロセスを愉しみながら、
日々の無意識の習慣として
くりかえし、くりかえし
練って磨いていく。
88歳になる寿司職人の名人が
「この年になっても頂上がみえない」と言った。
本物である。
自分の本質度が変わる・・・
それは、自分自身でもわかる。
周りをみる。周りも変化する。
どのような変化かと言えば、例えばメンバーが替わるとか
相手自身が変わる。
相手を変えようとする手間暇を考えれば、
自分自身の本質度を少しでも向上していく方が
建設的である。
これは自己責任である。
自身が真実に近づくことである。