東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

晩秋にて。

こんにちは。

今週のブログは友松が担当致します。どうぞ宜しくお付き合いください。

秋もすっかり深まり、もう晩秋ですね。

ひんやりとして澄んだた空気に、斜陽、木々の紅葉。晩秋独特の自然のコントラストが刻々と変化していく。存在投影時間はあっという間。
無常。
自然現象は常ではない。無常だからこその美しさ。無情ではなく、根底に親和性のある無常。

落葉樹が紅葉するのは葉っぱの老化現象によるものだという。確かに葉っぱそのものは、やがて落葉し、朽ち果てていく。外面だけ見て、理屈で考えれば紅葉は老化かもしれない。

しかし、紅葉を見て感じた感性は違う捉え方をしていると思う。確かに郷愁や哀愁の感はあるが、その感情は葉っぱが朽ち果てていく様を見て湧き上がってきているのかというと、そうではないと感じる。

秋の陽射しを受けた時の、あの輝き、エネルギー感。葉っぱの老化だけで片付けられないものがある。
あのエネルギー感は、自然環境に順応しようとする木そのものの姿であり、その様が自分自身に宿るイノチの永遠の記憶と共振し、心地良い郷愁や元気となるのではないかと感じる。

木全体からすれば、一生賢明これから訪れる冬に向け準備している。そして眠りにつき、翌年の新緑の時節には、若々しい葉っぱを芽生えさせて生まれ変わる。

それを繰り返して、より深く根を張り、広がる。無常のなかに常あり。常たらしめるのは自然法則。自然法則に合わせることで生長している。

植物には植物の生があり、人間には人間の生がある。その生をより良く全うするために、それぞれ自然法則が自在する。もともとは有り難くできている。

郷愁。

夕やけこやけで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手々つないで皆帰ろ
烏といっしょに帰りましょ
幸いな吾が家に、母なる自然法則の懐に。
橋本敬三先生著、「山寺の晩鐘」より一部抜粋)

秋季操体フォーラムお待ちしております。

「2014年秋季東京操体フォーラム
今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
メインテーマは「操体進化論」。
特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?p=813