おはようございます。
光は粒子性と波動性を併せ持つ。こう表現されるようになったのは、ニールス・ボーアが相補性という概念を提唱したことによるという。粒子性と波動性という、異なる二つの性質が互いに補いあって一つ。
この世で最も根源的なものとも思える、光にこのような性質があると想うと、なんだか嬉しいような、救われているような、有り難いような、そんな気分になります。
ニールス・ボーアが相補性という概念を提唱するまで、光は粒子だと主張する科学者と、波なのだと主張する科学者とが対立し、大いに議論していたという。しかし、光が波であるとしなければ説明できない現象と、光が粒子であるとしなければ説明できない現象とがあり、科学者達を悩ませ続けたという。
そこでニールス・ボーアの登場となったわけだが、ボーアもなぜ相補性が在るのか?相補性の元とは?起源とは?という事は言っていないと思う。知ってはいたと思う。
それはボーアが後半生、量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していたことから伺えるが、科学者の立場としては自在を肯定しつつも存在の研究を優先するしかなかったのかもしれない。あるいは社会環境が、そこを超えた発言を拒んだのかもしれない。
橋本哲学では、そこから先、つまり相補性というある種の親和的エネルギーの起源はどこかという事を重要視している。橋本敬三先生は著書の中でも、その起源である太極が自在することの有り難さ、太極の意志のすばらしさについて、ことあるごとに説き、悩める私達に生きる勇気と自信と、生かされている悦びと感動を与えて下さっている。
相補性の元は、太極の意志である愛と調和という、ものごとの基本となる理念なのだ。
愛と調和という太極の意志が起源となり、相補性が生じる。または、愛と調和という太極の意志は全てに普遍貫通しているのだから、相補性はその表れと捉えることも出来ると思う。いずれにしても、太極の意志が元になっているという事。
相補性はいたるところに発現している。一番身近なところでは、自分のからだや、今、生かされて生きている自分自身の事だろう。
人間が生命活動を営む上で、「息」「食」「動」「想」は自己最小限の必須条件であり、責任がある。これらは同時相関相補連動性であり、そして「環境」と密接に関わっている。
同時相関相補連動性とは、あるものが悪くなれば他ものも悪くなる性質と、あるものが良くなれば他のものも良くなる性質を意味する。
高次の存在の集合体として存在する人間は、相関相補性をより良く活かさなければ、その相補性により集合体全体が衰弱してしまう恐れがある。
その為には「息」「食」「動」「想」の自然法則を学び、相関相補性をより良く活かしていく必要がある。そうすることで、「環境」への適応力が増す。
特に人為的環境とのかかわりでは、一人の自然法則への気づきから、他の人達とも良い相関性が築け、一人一人をより高めるような相補性が引き出されて、より良く人為・社会的環境を変える力が生じてくると思う。
秋季東京操体フォーラムお待ちしております。
「2014年秋季東京操体フォーラム」
今回は11月22日(土)23日(日)の二日間開催いたします。
メインテーマは「操体進化論」。
特に、22日は場所の都合上、人数が限られておりますので
ご参加希望の場合はお早めにお申し込み下さい。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?p=813