非日常を意識していればこそ、感性磨きになるようだ。
現象としての生命、その語りかけに響くものを受け、
味わうことで「からだ」との接し方は始まっていく。
なので、今置かれている生命環境を招いたのも意識である。
多くは、病や別離、負債をきっかけにする場合もあるだろう。
ただ、+エントロピーを伴うしがらみごとに関与せずとも、
様々な味わいを否定しない価値基準を持つことができたらいい。
生きるというすべては、”オウンリスク”・・・なのである。
そのことを知り、わきまえ、生きるということは、
それ自体で「感性」を磨くことになっているのだから。
誰かに文句を言うこともできない。
すべてを自分で判断し、自分の責任によって成り立っている。
価値のある瞬間、とどまることのない生命現象において、
「からだ」は常に「非日常からの日常」の「今」となる。
だから恐れない。
非日常も感じ、日常の「からだ」に感謝できるようになっている。