東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「ミタテ」の考察⑦

 ある本を読んでいて、このようなことが書いてあった。

 

 原子物理学者のアルバート・アインシュタインは、死に際に自分の人生についての見通し、すなわち 「見立て」 ができなかったことを悔いていた。 アインシュタインが死ぬ前に、誰かが彼に尋ねた。 「もしあなたにもう一度機会が与えられ、あなたがこの世に戻って来ることを神が快く許されたら、あなたは何になりたいですか?」 アインシュタインは目を開けて言った。 「ひとつ確かなことがある ・・・・・・。 物理学者には二度となりたくない、そういった科学者には決してなりたくない! むしろ私は配管工になりたい」

 

 これにはある理由がある、そこには偉大な体験が含まれている。 アインシュタインは自分の人生を無駄にしたことを、自分が広島・長崎の原爆の原因だということを、自分が人類にとってアドルフ・ヒトラーよりもさらに危険だということを熟知している。

 

 いつ何時、世界全体が消滅してしまうかも知れない可能性がある。 しかも、その理由と原因はアルバート・アインシュタインにある。 だが、アインシュタインは、原子エネルギーを発見しつつあるとき、自分は社会に偉大な貢献をしていると考えていた。

 

 アインシュタインは続けて言う、「どうか、あまり社会の役に立つことは避けて欲しい。 それより、もっとバラの木を植えて欲しい! 広島や長崎はもうたくさんだ! 小さな植物にも水をやって欲しい。 もう少し世界に緑を、もう少し世界に赤を、もう少し世界に黄金色をもたらして欲しい。 それから、ピアノを弾いて欲しい、ギターも弾いて欲しい、もう少し世界に音楽を、もう少し世界に調和をもたらして欲しい。 愛のために愛して欲しい。」

 

 アインシュタインのように 「見立て」 ができないことで大きな罪を背負ってしまうこともある。 我々に求められることは、自分自身にも納得ができ、社会にも貢献できる、そういった 「見立て」 が必要なのではないだろうか。

 

 

 明日から香実行委員の 「ミタテ」 が始まります、お愉しみに。