丁寧に生きようとすると、我々は過去の誰かが創った言葉や概念を使って、日々多くの物事を処理していることが分かる。
でも、本当に生きる(少なくとも、人生の重大な決断をする)時は、自分の内から湧いて来る感覚やことばに依拠するはずである。
人生は、どれだけ生きても、わからないことだらけである。
正解は無い。
ある禅僧は、師家となられてからも、毎月1週間は修行僧と起居を共にして修行に励んでおられたそうです。
どうして、そうされるのですかと尋ねると、
「自ら求めるものなくして、どうして人を導いてゆけるのだ」と答えられたそうです。
三浦先生の生き方は、この禅僧の姿に重なります。