(つづき)
そんなコケについていろいろ感じている話を、つい先日師匠の前で話す機会があった。
すると師匠から「コケをかじってみたことはあるか?」という質問が返ってきた。
たしかに年々、神農みが増してきた師匠ではあるが、また予想もしない問いかけがかえってきたことに驚いた。
勿論かじってみたことなどなかった。
ものは試し。ちょうど我が家には育てているコケがいる。
コケの散策をしていると、公園のケヤキなど、樹皮が株元に剥がれ落ちているのによく遭遇する。試しにひっくり返してみてみると、樹皮の上でまだ生きているように見えるコケを見つけられることがある。そういったものを拾い上げては連れて帰り、霧吹きで朝晩水をあげたりして観察を愉しんでいた。
「なんだかかわいいなぁ」と感じて眺めているこのコケをかじるというのは、なんとも不思議なきもちが最初はしたが、「ちょっとかじってみてもいい?」となんとなく問いかけてみると、そんなにいやそうでもない気がしたので緑のもふもふしたところを少しつまんでみた。
指先にほんのわずかなコケの葉の連なりがとれたので、
それを試しに口にしてみた。
(勿論コケを食べようということを推奨したいわけではありませんのでご了承下さい)
大きな口腔に対して、口にしたコケはほんのわずかなもの。
その小さな組織を歯と歯で噛んでみると、小さく「しゃり、しゃり」という触感が感じられた。
それは思っていたものとはだいぶ異なる独特なものだった。こんなにちょっとしか口に入れてないのに、微細でフレッシュな細胞のひとつひとつを歯がすりつぶしているような感覚とでも言えばいいだろうか。普段何かを口にしているときには、こんなに繊細な感覚を抱いていない事を感じたりもした。
そして、その後に鼻の奥にさぁーっと抜けるような、なんとも言えない新鮮な青々とした香りが拡がった。あんなにわずかな細胞なのに、これほどに存在感が拡がるのかと驚いた。
そしてこれらのすべてが、決して私にとって不快な感じがしない、寧ろ生命力をいただいているような、そんな印象だったのにも不思議を感じた。
たしかにこのコケを顕微鏡でみてみると、微細でちょっとツンとした緑の構造体、緑のつぶつぶが連なっているのが見える。あぁこれがあぁいう感じに口の中では感じられるんだなということに納得した。
ほんの一つまみの欠片でこれだけの存在感があるってことは、このもふもふにはとんでもない生命力が宿っているということか。
かじってみて、コケとの関係にもまた新しいつながりが生まれたような気がする。
ただ眺めて、愛でていただけでは、知らなかった世界である。

