おはようございます。

 

秋は夕暮、夕日のさして山の端いと近うなりたるに・・・。

清少納言の歌にもあるように、この時季の夕暮れ時というのは、空間とそこに漂う優しい光と合わさりながら、様々な美しい情景を醸し出していると感じる。

山の端もそうだが、木々や丘、四角いビル、電信柱、生きもの・・・。

 

そこに感じるのは、優しさであり、普段は忘れているが心の奥底にある、優しくしてもらった記憶を甦らせてくれるような、ほんのりとしみじみした懐かしい感じ。

風情があるとか、趣があるとか、一言で表現していいだろうが、その元になるのは、この情景の場合は優しさなのではと思う。

 

清少納言は、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり、と続けて書いている。

あはれなり、つまり趣があるとする前に、烏が日が暮れないうちに安心できる寝所に帰ろうとする描写。

それは一匹ではなく、3,4匹の集まり、2,3匹の集まりというのは、親子をはじめ様々な関係性の集まりを表現しているように思える。

そして、それぞれの集まりに絆や優しさがある。

 

どんな偉い人でも、強がった人でも、赤ん坊の頃、幼い頃を経ている。

誰だって赤ん坊の頃は、一人では何にも出来ない。

まわりに優しくしてもらわなければ、どうにもならない。

逆に、今、こうして生きているという事は、しっかり誰かしらの優しさや愛情を受けているという事でもある。

 

赤ん坊の頃、幼い頃の事は、大抵の人は憶えていないであろう。

はっきり頭の記憶としては憶えてはいないが、受けた愛情や優しさ、そのぬくもりというのはからだやそのくうかんに記憶されているのだと思う。

それが秋の美しい夕暮れの空間に包まれ、幸せな懐かしさのような趣で呼び起こされているのかもしれない。