毎年秋のフォーラムで発行されている小冊子「VisionS」。その2007年版に掲載したものを加筆訂正して掲載します。
全国操体バランス運動研究会、というものがある。仙台の温古堂主宰で、毎年秋に日本各地で行われている操体の会である。東京操体フォーラムとはまた主旨が違っていて、参加者層も違う。それはさておき、数年前に仙台でバランス運動研究会が開催された時、フォーラム実行委員のうち、何人かで仙台に行った道中記を書いてみようと思う。
皆仕事が終わってから、夜10時過ぎに三軒茶屋に集合した。
車を運転しているのは三浦先生、ナビは私、後部座席に秋穂さん、草階さん、森田さんが座る。後ろに座っているのは芸達者ばかりなせいか、出発早々笑い声が聞こえる。
操体臨床の場ではいつも真剣だが、それ以外ではいかにしてお笑いのツボを捉えようかと虎視眈々としているのが我々フォーラム実行委員の正体なのだ。加えて言うなら、我々は師匠(三浦先生)の突発的ギャグにも冷静に対応できるような技量も必要なのである。
飯倉で首都高に乗った。私も首都高などあまり詳しくないので、ジャンクションの度に少し緊張する。
『これは、どっちに曲がるんだ??』
『先生、右ですっ!!!』
『もっと早く言えっ!!』
という感じだ。
東北道、東関道に向かう湾岸の一本道路にかかると少し安心する。というのは自宅の近くなので、東北道に入る道と、そのまま東関道に行ってしまう道は知っているからだ。葛西インターの手前、中川と荒川の真ん中を通るC2(中央環状線)に乗ればいいのだ。ここも無事左に曲がって、暫く走っていると、小菅ジャンクションだ。これを右に曲がってしまうと常磐道に入ってしまう。
『今度はどっちだ????』
『えええっと、こっちです』
『こっちじゃわからんだろ!!!』
『えええええっと(汗)まっすぐみちなりですっ』
『もっと早く言えっ』
東北道に入れば、あとはまっすぐ走ればいい。三浦先生は愛車を飛ばしてご機嫌だ。私は音のいいカーステレオで好きな洋楽(ロック系)を大音量でかけてもらって気分がいい。後ろの3人は共にお笑いのツボをつつき合い、ボケとツッコミをかけもちしながら笑いが絶えない。
しばらく走ってパーキングで休憩する。おみやげコーナーを覗いたり、一息ついて蕎麦を食べたりして、三浦先生と秋穂さんが運転を交代する。夜の高速を車はすいすいと走ってゆく。
秋穂さんと私は前で音楽(洋楽)の話をし、後ろでは三浦先生と女子二人がまたなにやら笑っている。そうしているうちに、飯坂ICに近づいてきた。ここで降りて温泉で休憩予定なのだ。インターを降りる時、三浦先生が後部座席から『(温泉は)どっちにあるのか聞いてみろ』と秋穂さんをつつく。
降りて右に曲がるということ、どうやらその施設は黄色いらしい。あとはネットで調べた地図が頼りだ。
県道を10分程走って行くと、黄色い大きな建物が現れた。
我々が目指す『カッパ王国』である。健康ランド型温泉施設で、ここでひと風呂浴びて仮眠を取って明日の大会参加に臨む予定なのだった。
まず、風呂に入る前に併設してあるレストランにてビールで乾杯(ビールは女子組のみ)した。『ぷは〜っ』と言ってしまうのはお決まりのご愛敬である。一休みしたらいよいよ温泉。女子3名は賑やかに女湯へ(当たり前だけど)向かう。
浴場は結構広い。メインの温泉、それを冷やした冷泉。よもぎを蒸しているスチームバス、漢方系のハーブバス、アロマ系ハーブバス、大きな枡のようなヒノキ風呂、小さいながらも露天風呂がある。メインの温泉のところにはシンボルであるカッパ像が立っている。何故か知らないが『おまじない』と言ってカッパ像を撫でる草階嬢であった(なんの御利益があるんだろう・・・)。
夜中なので、風呂場は殆ど私達3人の貸し切り状態である。やはり大きな風呂というのは気持ちがいいのだ。
長風呂をしてあがると、男性陣はすでに風呂からあがって、入り口のソファでくつろいでいた。三浦先生はすでにソファで半分寝ている。秋穂さんも相当眠そうだ。
『先生、寝るなら仮眠コーナーで寝たほうがいいんじゃないですか??』と聞いても
『ここでいい』
という眠そうな返事が返ってくる。
さわらぬ神に祟りなし???
女子3名は懲りずにもう一本ずつ缶ビールを飲み、その後館内を探索した。仮眠コーナーを覗いてみると、暗くて中はよく見えなかったが、どうやら多くの人がゴロ寝で仮眠をとっているようだ。そして私がちょっとの間草階・森田二人組から離れているうちに、二人の姿が見えなくなった。どうやら一瞬の間に二人に置いて行かれてしまったらしい。
少し考えたが、暗くてよく見えない仮眠室に行くよりは明るいロビーのソファで寝るほうが良さそうだ。というわけで、三浦先生と秋穂さんが既に爆睡している明るいロビーのソファで、頭からタオルを被って寝た。
数時間経って目が覚めた。三浦先生と秋穂さんはまだ寝ている。その間に急いで朝風呂につかり、支度をして出てくると、三浦先生と秋穂さんも起きていた。暫くすると草階・森田二人組が起きてきた。何で私を見捨てて仮眠しちゃうわけだ?と聞くとあやまる二人。しかし、仮眠室の中には明らかにノゾキ行為を働いている輩がいたらしい・・・。それを考えたらソファで寝て正解だったかもしれない。
時間は朝8時。仙台に向けて出発だ。朝の光と、朝のひんやりした空気が気持ちいい。
再び東北道に乗り、案内に「仙台市」と見えると『お、着いたぞ〜』と声があがる。
仙台宮城ICを出ると、仙台西道路に入る。これに乗っていくと、仙台に一番近い。しばらく地下を走って外に出ると、そこはもう仙台市街だ。見覚えのある風景が目の前に広がる。
予定としては、仙台駅で島根から高速バスで来ている福田君と落ち合う予定になっている。仙台の街中を走りながら三浦先生が『あれが温古堂のあるビルだ』と教えてくれる。皆、ペンギンのように一斉にそちらを見る。
仙台駅前に車を止めて、島根からはるばるバスの旅を経て、先に着いているはずの福田君を捜す。彼と落ち合い、お腹がすいた一行は仙台駅ビルの3階『牛たん通り』へ。洋風モーニングと和風のおかゆつきのモーニングがあり、私は確かお粥を食べたと記憶している。誰だか忘れたが、確か朝から牛たん定食(焼き)を平らげたツワモノがいたっけ。
腹ごしらえをすませた一行は会場の仙台医師会館に向かうことに。しかし車には全員乗りきれないので車組と地下鉄組に別れた。私は車組だ。実は会場の近くに叔母が住んでいるので道を知っているのだった。地下鉄でも2,3駅なので便利な場所だ。
会場にはすぐ着いた。なかなか綺麗な建物である。受付を済ませて中に入ると、久しぶりの先輩諸氏の顔を見つけて挨拶を交わしたりする。三浦先生は挨拶で忙しそうな上、そこら中で声をかけられてつかまっている。
そして、今先生の登場だ。三浦先生と今先生は握手を交わし、私達も再会を喜んだ。
そして全国大会が始まった。その内容はまたということで。
途中、喉が渇いたので自販機があるロビーに降りると秋穂さんが一服していた。全国大会の感想など話しながら休憩していると、今先生の姿が見えた。『こっちにおいでよ』と、手招きされて私達が行ってみると、そこに居られたのは、橋本敬三先生のご三男、橋本保雄さんだった。今先生が私達二人を紹介して下さった。
(保雄氏は残念ながら2006年夏に逝去された)
橋本敬三先生の本の中で『山の上ホテルに勤めている三男』と書かれているのが保雄氏である。
何だかパワフルで活力のあるオジサマという感じだった。
『三浦君のところで勉強しているのか』
『江戸川区か、いいところでやっているね』
通常、全国大会は初日の夜、懇親会を開く。しかし今回は明日に『橋本先生を偲ぶ会』が開催されるので、初日の今日は午後からはじまり、夕方軽食が出て、ナイトセミナーなるものが開催されるという。三浦先生はナイトセミナーで短い発表を行い、その後のパネルディスカッションに出席の予定だ。
午後の部が終わり、軽食をつまんでいよいよ夜の部開始である。
三浦先生の発表は、余りにも時間が短すぎた。通常講習で4時間から5時間の講義をみっちり聴いている我々にとっては余りにも短かすぎた。プログラムの進行上これは仕方のないことなのだろうが、勿体ないと思った。
『操体法治療室』の今先生のパートにたまたま登場する『平さん』(当フォーラム相談役の平直行さんではない。加藤平八郎さんである)の発表もあった。私達は席に座って『ナマ平(へい)さんだ・・・』とか無責任な事をいいながらも熱心に平さんの話を聞いていた。いつか東京操体フォーラムで、思い出話とか話していただけないもんだろうか・・・と少しヨコシマなことを考えながら。
パネルディスカッションが終わり、この日のプログラムは終了した。夕方に軽食を摂ったといっても食欲旺盛な私達一行の胃袋が足りるわけがない。これからいよいよ本日の宿泊場所に移動して夕食だ。
今先生の車に分乗して出発。今日泊まるのは、ネット経由で予約した『合宿・研修などに向いた』ホテル。ベッドルーム2つ、和室1つ、居間、風呂トイレ付きである。少し道に迷ったりしたがやっと宿に到着した。チェックインして中に入る。何だか普通の家のようだ。まず、荷物を下ろし皆でほっと一息つく。
一行は買い出しと食事がとれる店を求めて街に繰り出した。しかし、土曜のいい時間、なかなか席が空いている店がない。大分歩いてやっと居酒屋(養老の滝)にたどりついた。『仙台まで来て養老の滝というのもねぇ』といいながらもお腹を空かせノドが乾いた私達はおおいに飲み食いし、今日の全国大会の内容についてもおおいに語り盛り上がった。東京操体フォーラムの運営について、参考になるところが多かったからだ。
お腹が落ち着いた一行はコンビニで色々買い込んで、宿に帰った。
その後は一人づつ順番にお風呂に入った。女子組がまず最初に入った。私は寝ぼけていたのか酔っぱらっていたのか(多分両方)脱衣所に派手なぱんつを置きっぱなしにして、後でお風呂に入った三浦先生に『なんかあるけど誰のだ』と言われ、結構ハズカシイ思いをした。秋穂さんも福田君も「ある」のは分かっていただろうが、見て見ぬふり(?)をしてくれていたに違いない・・(遠い目)。が、はき忘れていたわけではない。念のため。
さて、ベッドルームは二つ、大きな和室は一つ。どのような部屋割りをするかまだ決めていなかった。まあ、三浦先生がベッドルームを一つ使って、男子二人がもう一つのベッドルーム、女子3名は和室で、というあたりが妥当ではないか、と考えていた。ヒエラルキー(?)で言えば、最初に三浦先生、次に私(のはず?)である。少なくとも草階、森田、福田三名は私の受講生でもある(一応師匠)。今回の道中もホテルを手配したのも私だ。部屋割りの采配をふるっても良かろうよ。
しかし、三浦先生と秋穂さんと福田君と私が居間で話し込んでいるうちに、草階&森田は二人でベッドルームに荷物を運んで寝る支度をしているではないか。昨日もカッパ王国で私を置き去りにして仮眠室に二人で行った上、今日もだよ(心の声)。『すいませ〜ん』と声では言っているものの二人は着替えてベッドに潜っている。
と、その隙に(?)三浦先生は別のベッドルームに足を踏み入れながら
『オレ、こっちで寝る』
『福田、こっちこい』
呼ばれた福田君は何故か恐縮しながら後に続く。
ということは、秋穂さんと私は和室で布団寝るということだ。とりあえず(ベッドに入るより多少手間がかかる)布団を敷く私であった。秋穂さんは疲れたのか、布団に倒れ込むようにして爆睡した。時間にして3分位のことだったろうか。
私は『ぐざがいともりだめ〜』と、心の中で呟きながら居間のソファにへなへなと座って、残っているスルメなどをかじっていたのだった・・・。
そうしているうちに、福田君が
『ちょっと、いいですか?』とごそごそベッドから起きてきた。
『般若身経なんですけど、ちょっと確認したいところがあるんですが・・・・・。捻転の時の重心移動は・・・・』
私が答えようと、また立って重心移動の様子を体現しようとしたその瞬間、
『それはだな』
とベッドルームの奥から低い三浦先生の声がした。
一瞬凍る私と福田君。(操体の話は・・寝てても聞こえるんだ・・・・)
・・いえ、操体の話となるとゆっくり寝ていられないのだ。それだけ操体には真剣なのだ。
結局三浦先生は起きてきて、小一時間ほど三人で『般若身経』の話で盛り上がったのだった。
朝の目覚めは割といいほうだ。おまけに外が明るいので目が結構早く覚めた。一番早起きなのは三浦先生で、既に『朝飯食いにいくぞ』と待っている。急いで朝食を終えると今先生が車でやってきた。チェックアウトして2台の車に分乗する。
これから、葛岡霊園へ向かう。橋本先生のお墓参りだ。
途中、コンビニでお線香を買ったり、カメラを買ったりして一行は車2台で広大な葛岡霊園の入り口に着いた。
急な坂を車であがり、やがて止まったところは静謐で明るい空気の公園のような墓地だ。山の上にあり、何よりも眺めがいい。橋本敬三先生もこの場所が気に入って、ここにお墓を建てたのだと聞いている。
昨日からの全国大会続きのイベントで、今日の午後から『橋本先生を偲ぶ会』というのが開催される。会の後、参加者はチャーターバスでここまで来て、お墓参りをするのだと聞いた。私達はその前に一足早くお参りというわけだ。
『ああ、あそこ』と、今先生が示し、三浦先生はすたすたとお墓の近くに歩み寄る。
座って深々と頭を下げ、長いこと合掌している先生の姿に、私は何だかじーんとした。今、この場所に仲間達と一緒にいるということは、なんて素晴らしいことなのだろう。橋本先生がいて、三浦先生がいて、今先生がいて、私達がいる。一系の操体家系図ではないか(この辺りはかなり感動的)。何だかとてつもない偶然が重なって、この瞬間があるに違いない。
一人一人お線香をあげ、合掌する。初めて来たメンバーは感激もひとしおのようだ。何せここはフォーラム実行委員をはじめ操体を学ぶものにとっては聖地のようなものだろうし、一度は墓参したいと思うに違いないからだ。
このお墓はここ一箇所(橋本家だけ)高くなっていて、丸い、亀の甲羅のような墓石が置いてある。その墓石の裏にカタカムナの文字に似ている文様が書かれている。これがまた不思議な形なのだ。ウワサには(?)聞いている例の文様の実物を初めて見た私以外(秋穂、福田、草階、森田)は『へえー』とか、『改めて不思議な形ですねぇ』と感心したり写真を撮ったり、石を撫でたり(?)している。十分その場の空気を味わって、皆で記念撮影を済ませてから、一路市内旧温古堂跡へ向かう。今残っているのは今先生の時代の温古堂跡だ(三浦先生の時代の建物はNHKから出ているDVDで見ることができる)。新しい温古堂はほんの隣の新しいビルに入っている。温古堂跡(?)には、かつてそこに表札がかかっていたのだということを偲ばせるように、表札の形が白く残っていた。
ここが『操体法治療室』の今先生のパートに出てくる舞台になったところだ。写真や映像では見たことがあるものの『ああ、ここでヒバチと鉄瓶で・・・』と、皆思いをはせるのであった。
仙台には滅多に来られないというメンバーもおり、また『偲ぶ会』にはそれこそ、古くからのお付き合いがある方が参加されるだろうということも考えて、若輩の私達は遠慮して午後は仙台観光をすることにした。今先生も午後講習があるため『偲ぶ会』には参加せずとのこと。三浦先生は出席することになっている。
しかし、『偲ぶ会』に出なくてもこうやって三浦先生と今先生と私達(橋本先生にお会いしたことのない世代)が一緒に仙台で所縁(ゆかり)の土地を巡るのも『偲ぶ会』ではなかろうかとも思う。
ここで三浦先生は(冗談かもしれないが)『いいな、お前達、観光か』と言い残し、今先生の車で『偲ぶ会』会場に向かっていった。私達は観光が終わってから、三浦先生は『偲ぶ会』が終わってから、それぞれ今先生の治療室で合流することになっている。今先生の受講生と合同で宴会の予定だ。
仙台観光組は私、秋穂さん、福田君、草階・森田組(この2名は二晩も私をおいてけぼりにしたのでこう呼ぶ)の5人である。最初の目的地は、これで日本三景制覇だという福田君のリクエストで、松島へ。カーナビをセットして出発した。しかし、カーナビをセットしたにも関わらず、なかなか松島に着かない。
『三浦先生が想念で邪魔をしているんじゃ・・・』とかそういう冗談が始まる。とにかくこの面子であるから、お笑いネタ満載である。書ききれない程ネタがあったので割愛するが
・・検閲で伏せ字とかピー音が入ると困る???
一番受けて、車の中で全員笑ったのが
『もし、カーナビの声が三浦先生だったら・・・』
というものだった(師匠、ネタにしてごめんなさい)。
オチ?交差点に近づくと、カーナビが『右でも左でも、からだにききわけて』と三浦先生の声が出るカーナビです。
そうしているうちにやっと松島に着き、『これで日本三景制覇じゃ』と、喜びにむせぶ福田君と、松島の通りに漂う焼きイカの香りに誘われる女子部。都合がいいのかどうかわからないが、運転できる二人は下戸なのだった。それに対して女子組はいける口ばかり。松島の通りに漂う、かぐわしい焼きイカや焼きホタテを冷たいビールで、と目論む女子組は勇んで数軒の食堂を探し、ここぞと思われる座敷付きの食堂に上がった。
福田君と秋穂さんはソフトドリンクだが、女子部は生ビールである。
一休みして、松島の景色も少し楽しんで、地ビールをお土産に買って仙台市内に戻ることにした。
次の目的地は、瑞鳳殿(伊達政宗公の墓所)だ。歴史マニアの福田君のリクエストでもある。ここは私にもゆかりが深いところだ。うちのTEI-ZANという屋号は、開業した当時は『貞山療術院』という名前だった。貞山(ていざん)、というのは伊達政宗公の諡号(おくりな、いわゆる戒名)であり、没後は「貞山公」と言われた。そこから拝借したのである。開業する際は、ちゃんとここまで報告とお願いに来たものだ。ここも数知れず来たことがある(叔母がやはりこの近所に住んでいた)。この辺りは「霊屋(おたまや)』といい、仙台の中でも高級住宅街なのだそうだ。
車を駐車場にいれて、山道の石段を登る。ここは空気がとても澄んでいて、来る度にパワーを頂けるような気がする。山道の石階段を上りきって瑞鳳殿の前に行く。草階森田組は瑞鳳殿上にもある他の墓所見学に行ったようだが、私と秋穂さん、福田君は瑞鳳殿の前で、暫く鮮やかな建物をじっくり鑑賞してから、横にある資料館へ入る。現在ある建物は戦争で焼けたままになっていたものを、発掘して鉄筋で再現したものなのだそうだ(丁度、再現した頃、NHKの大河ドラマで『伊達政宗』が放映された)。その発掘の様子を納めたビデオや、埋葬品などが展示されている。小さな資料館だがなかなか見応えがある。ここでも歴史マニアの福田君と私は熱心に資料見物をするのだった。
と、携帯が鳴る。三浦先生からだ。『何してるんだ。早くこっちにこい』一行は大あわてで車に乗り込み、今先生の治療室へ向かった。
今先生の治療所に着くと、中では宴会が半分始まっていた。三浦先生に話を聞くと、『偲ぶ会』が終わってからすぐに今先生の講習に合流し、少し講義と話をということだった。
今先生の講習には、以前私の講習に参加していた実行委員の中廣さんが参加している。ここ(仙台)で会うのも何だか不思議だ。東京で会う感じとは全然違う(生き生きしている??)。何故だろう。その他にも何人かの顔見知りや、講義をしたことがある顔が並んでおり、宴会の支度をしながら、私達を歓迎してくれた。今先生チームは料理上手が多いそうで、普段見たことも、食べたこともない厚切りの牛たんとか、地元の料理や地酒など色々ご馳走になり、楽しい交流の時間を過ごしたが、楽しい時間はすぐ過ぎるもの。福田君はバスの時間が近づいてきたので名残惜しくもおいとますることになった。
仙台駅まで福田君を秋穂さんが車で送って行った。
私達はもう一息ついてから車で帰ることになっていたが、草階&森田組は帰りの予定を変更して、二人で新幹線で帰ると言い出した。また(笑)二人で行動か(三度目だ)。
それから、三浦先生、秋穂さん、私の3人は余裕で東京への帰路についたのだった。
本当に楽しい時間だった。
同じ時間を共有し、橋本家の墓所にお参りし、朝から晩まで操体の話をした。
本当に操体ずくめの二日間だった。
VisionSに書き残しておきたいのは、東京操体フォーラムのメンバーは、操体を単なるテクニックや技術として捉えているのではなく、広大な操体のバックグラウンドをも通して操体に近づきたいと願い、学び、そして操体で遊び、楽しんでいるということを伝えていきたいからなのだ。
畠山裕美