東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

進化と退化

いやぁ・・一週間長かった様な短かった様な、微妙な感じはありますが、今回の順番は本日が最後となります、最後まで暖かく見守って下さい。


変わる、変化するというのはとんでもない痛みを伴います。サナギから成虫である蝶に変わる際の苦痛たるや、人間では想像できないくらい、時にはその痛みに耐えられなくて死んでしまうサナギもいる位だそうです。これは人間も同じで、人間が自分自身を変えようとする時には大きな痛みと苦しみを伴います。もっと明るい性格になりたい!とか禁煙するぞ!とか何でもそうなのですが、変化とは今まであったモノを変えていく訳ですから、痛みを伴うのは当然といえば当然です。


この変化とよく似ているのが『進化』ですが、人間が人間たる理由はこの“進化”に有ると思います。空が飛べたらいいのに・・・と思うからこそ飛行機ができ、月には本当にウサギが居るのだろうか?と思ったから
こそ月へ人間が行く事が出来たのだと思います。今のままで良い、それ以上求めない、これほど簡単な事はありません。又、そう考えた時点で人としての成長や人類の進化は止まり、退化へと向かっていくのだと思います。


私は現在、操体をプロとして、臨床家として追求しています。
そう、自身の生活を懸け、人生を懸け日々過ごしています。ですから、毎日が真剣勝負であり、甘えや妥協の許されぬシビアな世界に身を置いて操体が完全な人生のパーツの一部となっています。


私は最初、この操体を捉えた時は失礼な話しですが、初日にも書いたように、それまでやっていた整体とミックスして美味しいとこ取りをしようと思っていました。整体で補えない所を操体で補おう、単に操体操体法の部分にのみ魅力を感じ、こんな時にはこの操法、こんな場合はこの操法などと、今考えると“症状疾患別”に診ないのが操体の特長だ!などと言いながらも、自身はシッカリと症状疾患別にクライアントを診ていました。


当初はいわゆる痛い方から痛くない方へ、苦から楽へ二者択一で、脱力もたわめてスパッと力を抜く瞬間脱力を行う、従来の“第一分析”のみの操法を行い、殆ど問題もなくそれなりに結果も出ていました。
「楽勝じゃん!」正直言って、今迄整体で苦労していた各症状が短期間で解消出来るので、臨床結果としての効果の高さから、操体に引き込まれて行きました。
と同時に臨床家として慢心と言いましょうか、俺ってやるじゃん!みたいな、完全な驕り高ぶった臨床家に成っていました。


しかし、やはり世の中には神様が居るものです。この頃ほぼ同時期に2つの自分にとって衝撃的な事件が起き、自身の臨床家としての立ち位置を根本的に見直す事件が有りました。


その一つが二日連続で“急性腰痛”いわゆる“ギックリ腰”のクライアントを診ることと成った時でした。
手も足も出ないとはこの事でした。先ず、仰臥位になれない、伏臥位にもなれない、ただ目の前で苦痛に顔を歪め「いたぁい・・痛いぃ」と唸るだけのクライアントを前に、何の確信も無くオロオロとし、殆ど何もすることも出来ずに、「氷で冷やしといて下さい・・・」と言って、余りの惨めさに代金ももらわずに帰りました。そんな状態で次の日も同じような急性腰痛のクライアントを診ることとなり、悪いことに、昨日よりも更に状態の悪い方で、当然の事ながら前日にKOされボロボロの私にどうすることも出来ずに、アホみたいに「氷で冷やしといて下さい・・・」と「最悪やぁ・・」流石に超ポジティヴ1200 %の私でも落ち込みました・・・
しかも最悪なことに操体でも駄目なことがあるんだぁ」などと操体の所為(せい)にして自分に矢を向けることはありませんでした。


そして、もう一つの事件は紹介者の方からの一言でした。
私の施術院は紹介100 %の施術院です、タウンページや宣伝も行っていませんので、飛び込みで来るクライアントはほぼ0%であり、人から人への口づてが“生命線”であり、逆に言いますと紹介が無ければ成立しない仕事でもあります。そんな中で、ある日、何度か慢性腰痛の症状で来ていただいていた女性の紹介者の方から電話があり、言いにくそうに話しを始められました。
「福田くん、言いにくいんだけど、○○ちゃん取りあえず、もう来られないって言ってるから、ゴメンけど予約はキャンセルして」正直、何で?だろうって感じでした。思い当たる節もなく、良くなっている筈なのにどうして?って言うのが本音で、思わず紹介者の彼女に「どうして?かなぁ、何か聞いてる?」って聞き返すと、「う〜ん・・怒らない?」って言われるので「怒らないから、言ってよ」って言うと、彼女も覚悟を決めた様で。「あのね、彼女が言っていたのは、操体はその日は良いけど後ですぐ元に戻るって・・」そしてトドメの一言、「○○ちゃん結局、福田くんの所に行く前から行っていた整体院に又、行ってるんだって・・・」兎に角ショック_^2で立ち直れるのだろうか・・・と思える位に凹みました。


その様な悶々とした気分で操体を臨床で行う難しさを感じている時に、大きな気付きに成ったのが、『第二分析』と現在の私の臨床においても中心となっている、『第三分析』でした。
臨床家である以上は結果を出さなければなりません。私は最初にも書いた様に趣味健康体操操体を追求している訳ではありませんので、クライアントは待ったなし!
結果を求めて来られる訳ですから、それに対してハッキリとした答えを出さなければ、廃業の道が待っています。


『福田よぉ、気持ち良さで治るんだよ』『カラダにききわけろぉ、頭で考えるなぁ!』『一つ一つの動きをよぉく カラダにききわけろぉ 無駄にすんなぁ』三浦先生畠山先生から色んな言葉をもらいました。


そうなんです、臨床家が待った無し、多種多様な症状を抱えて駆け込んでくる、クライアントを相手に現場で操体を行う際に必要なのは固定的縛りの多い、“二者択一”『第一分析』では無く、どの様な状態でも対応可能な『第二分析』や更に臨床効果の高い『第三分析』でないと間に合わないのです。


我々にとって神様の様な存在で、どんな諸症状でも一発で治していたというイメージのある橋本先生でさえ、実際の臨床現場では頭を抱え、試行錯誤の中に模索をされていたそうです。
“快適感覚”のききわけこそが臨床の真髄であり、『気持ち良さで治るんだよ』と言う橋本敬三先生の言葉を借りれば、快適感覚をカラダの芯からとろける程に味わうことが出来れば自ずと結果は後から付いてくる。そんな確信へと変わっていきました。


それからはどうすればクライアントが快のききわけが出来るのかを真剣に考える様になりました。見方が変わることで接し方も変わり、少しずつ結果が出てくる様になりました。
“二者択一”の操法では間に合わなかった臨床が“快適感覚”のききわけをする様になってから、明らかに臨床に変化が出て来ました。
“二者択一”操法では無かった『快適感覚を味わう』クライアントが増えてきました。


物事に“静”“動”が存在するのであれば、正に第二分析は“動”の操体の魅力であり、快適感覚をききわけカラダの中心を操り、末端から末端への動きがつけてくるその気持ち良さにカラダを委ね味わう、人間の意識下においての最高の快適感覚の味わいと言えると思います。


そして、究極の快とでも言うべき“静”操体である『第三分析』は臨床家にとっては欠かすことの出来ない最高の武器と成り得るのです。
私が操体臨床での最初の壁であった急性腰痛などの“一次分析”が不可能な状態、その上“二次分析”すらままならない疾病を抱えたクライアントに対してのアプローチとして、その解決方法はこの『第三分析』にありました。



橋本敬三先生もその著作の中で、運動系の定義を述べておられ、その一説に『骨格を基礎として、骨を被う骨膜、骨膜に付着する腱、筋肉、筋膜、関節内容及びそれを被包し固める嚢、靱帯と、これらの運動に伴って動く軟部組織の一切であって、その機能は運動作用、支持作用、保護作用を営むもの』と定義づけられています。
人間が心身共に弱り、意識感覚での動きをカラダ自身が拒もうとしている時に、“一次分析”或いは“二次分析”で問いかけても、正常なききわけが難しいことがあるのです。
正確には動きの中で、感覚をききわける作業すら苦痛とカラダが感じ、感覚をシャット・ダウンしてしまう事があり、こうなるともはや、“無意識”に問いかける、人間の本質部分に問いかけるより方法がないのです。


この人間の無意識部分に問いかけ、ききわけてもらうのが『第三分析』であり、私が打ちのめされた“急性腰痛”などの通常の姿勢がとることすら出来ない人へのアプローチが可能となるのです。
先程の橋本先生がおっしゃっている運動系の定義の中でもあった様に、骨膜や筋膜もさることながら、『軟部組織』も含めた一切が運動系である事からも、『皮膚』に問いかける、『第三分析』が臨床家にとっては大きな宝と成ってきます。


『第三分析』に関しては“第一分析”のような姿勢の縛りもなく、クライアントが一番安楽に思う姿勢でのアプローチが可能となることから、“急性腰痛”などで側臥位の様な形で寝ている状態でのアプローチも何ら問題がなく、クライアントの姿勢における苦痛も最小限に抑えることが出来、皮膚の走向を確認しつつ、後はカラダがつけてくる感覚をききわけるだけです。


目を閉じて感覚をききわけていると、青・赤・オレンジ・紫などなどの多種多様な色が見られたり、光が見えて来たり、無意識にカラダが動きをつけてきて、痛みがあって動くこともままならない人が、動き出したりと、カラダが治しをつけてくる時の奇跡的瞬間を『第三分析』では目の当たりにすることが出来ます。


なんと人間のカラダとは精密且つ緻密に出来ているのかと驚かされることばかりです。
この『第三分析』の様に真に快適感覚を味わうと、そこには“時間軸”を超えた時空が存在し、時としてクライアントは自分が寝ている場所や、何をしていたのかすら忘れてしまうこともあるのです。
先程まで仕事の愚痴をブツブツと言っていた方が、急にイビキをかいて寝始め15分位経った時に何事もなかったかの様に寝始める時に話していた会話の続きから普通に喋り始め、本人は『いやぁ・・・気持ち良くて寝そうですねぇ・・・』などと先程まで寝ていた事など全然解らない風で見ている方としては複雑な感じで楽しいです。


しかも、この『第三分析』の大きな特長としては“即効性”もさることながら、“遅効性”とでも言うべき面白い効果も同時にあります。
施術当日はそれほどまでにビックリするほどの効果は感じられないと言って帰られた方が2〜3日後にビックリして電話してこられ、『手が挙がる様になったよぉ!』とか『痺れが無くなった!』など、施術後にジワジワと効果が現れてきて、他の方に「あら、痛いって言わないねぇ」などと言われて「そう言えば痛くないや・・」などと人に言われて気付くなど、以前言われた、その時は良いけど後から悪くなると言われた部分が、『第三分析』においては解消出来、カラダは人間の都合でカラダを治したり悪くしたりしないんだなぁというのを改めて知ることが出来ました。


“早く痛みをとって欲しい!”と思っているのはカラダの要求ではなく、クライアント本人の考えであることの方が圧倒的に多いので、最近ではあえてクライアントの話は聞いて聞かない様にし、カラダそのものと向き合うことに心がけています。以前の私であれば、施術後に『未だ背中が痛いんですが・・・』とか『腰が重い様な気が・・』などと言われると、慌てて『じゃぁ、もう一回仰向けで寝ましょうか・・』などと言って、クライアントのリクエストに応えていたのですが、『第三分析』の“遅効性”が今では解りますので、自信を持って『大丈夫!今そうでも必ず2〜3日で楽に成りますから、心配しないで』『気持ちは解りますが、治すのは私じゃなくカラダ様ですからね』って笑顔で言える様になりました。


それからというものは臨床にもゆとりがもてる様になり、どの様な疾患を抱えた方が来られても気分的には楽に成りました。


橋本敬三先生は草葉の陰で我々『臨床家』をどの様な思いで見ているのか、たまに考える事があります。
“進化”とは今あるものをより良く変えていく事に繋がり、“退化”とは今あるものにひたすらしがみつき変化を恐れる心である様な気がします。


操体にも進化していかなければ成らないものと、誰がなんと言おうとも守り継承していくべきものがあります。例えば、守り継承していくべきものとしては『息食動想』のような基本的理念やベースになる考え方、『般若身経』にみられる重心安定の法則重心移動の法則などカラダの使い方における基本的部分などです。ですから、「いやぁ。。。僕はこの方がやりやすいので側屈は重心の位置は変えよう」とか「この方が捻転しやすいので、変えて良いですよぉ」など勝手に自分の体型だとか変な理屈で変更してはならないものです。だって『般若身経』ですよ!わざわざ橋本先生が般若身経などともじって命名された意味を考えれば、どんなに大事なものかは明確だと思います。これを理屈の通らない自己都合で変えるなどお経の改ざんに他なりませんので、大変な冒涜となります。


一方で“進化”していかないと、いけない部分も有ります。
それが橋本先生が必死な思いで発展させてこられた、『操体臨床』だと思います。
橋本先生が色々なご苦労の中から人体の妙といいますか、治っていくプロセスを体型づけていかれた“操体法”は橋本先生がご高齢になられ自らのカラダの自由が効かなくなるまで追求し続けられたのが臨床の現場でした。
我々、橋本先生からバトンを託されたものとしては橋本先生が作り上げようとしていた臨床における操体を“退化”させないという事は大きなテーマとなります。
操体を退化させてしまい、昔から有る健康法です、などと括られる事は臨床家としての魂が許しません!


今後、より広い目で見た操体が廃れることなく、昔から有る“健康法”という枠ではなく、最新の臨床法であり、これからの手技療法のスタンダードに成っていける様な“進化”を遂げていかなければ成らないと思っています。
そのためにも今あるものに満足せず、『快適感覚』への更なる探求と、精進を行っていきたいと強く思っています。


東京操体フォーラムはある意味、とっても先進的、挑戦的な集団でもあり、現状に満足せず、より良い臨床を求め、橋本敬三の意志を胸に、お互いが切磋琢磨をしています。
この今は小さな流れが、少しずつ下流に流れていく頃には、必ず大きなムーブメントと成って一石を投じられる存在に成っていけると確信しています。
今後もその一石と成っていける様に私も日々、楽しみ精進していきたいと思います。


今週、一週間お付き合いいただきありがとうございました。
来週からはお待ちかね、我らが三浦寛先生の順番です、どの様な話しがあるのか今から楽しみです。宜しくお願い致します。



一臨床家 福田勇治