今先生の心温まる操体話のあとを受け、京都の山奥から佐伯が一週間のブログを、お送り致します。
猛暑が続くなか、ほんの少しでも涼風がとどきますように、、、
操体庵ゆかいや物語(8)
小さな訪問者
友人のデザイナー・小田切ゆたかさんが久々に我が家を訪ねてきました。
まじまじと庭を眺めながら、
「ここは、熱帯雨林みたい。豊かですね」
お世辞にも我が家の庭はきれいとは言えません。近所のお家の庭は、砂利をひいて花や、植木を大切に育てています。畑の手入れも見事です。
それに比べて我が家は、全くの放置状態。
しかし、それはそれで、小田切さんのいう通りなかなか魅力的です。1mの積雪を耐えて、再び冬を迎えるまでの9ヶ月間に、我が家の庭を賑あわせてくれる植物の種類は、百を優に超えると思います。
そんな思いで、あらためて庭を眺めると、まるでミニチュアのジャングルに迷い込んでしまったような錯覚を覚えます。
今年は、その恩恵を受けて、ドクダミ、スギナ、ゲンノショウコ、柿の葉、茶を陰干しして、炭を入れたビンで保存することができました。
毎朝、それらをブレンドして、カナダ人の陶芸家サム・ユーリックさんの器で飲むのが、密かな私の楽しみになっています。
そんな日のささやかな出来事です。
我が家の便所は、玄関から4〜5m離れたところにあります。その道中に、勢いよく伸びたアザミがオオバコ、タンポポを征して仁王立ちしていました。その勢いは留まることをしらず、まるで青竹のようです。
ところが、ある朝のこと、何者かによって倒されてしまいました。
根元から2〜3cmのところにかじられたような痕が残っています。
鹿にしては、かじられた場所が低すぎるし、食べることなくそのまま放置されています。いったい誰が何の目的で、、、少々不可解ではありましたが、別段気にすることもなく数日が過ぎました。
しゃもじのように大きくなったオオバコの葉っぱ、牛の顔に似た葉っぱのミゾソバ、2m以上にまで成長したウドの大木、夏の終わりに花と実がなるミョウガの森など、生命の営みに圧倒されそうになります。
そんなミニチュアのジャングルをぼんやり眺めているときでした、
「ゴソゴソ、シュッシュ」
とジャングルの草木が揺れました。
「何だ?あれ?」
黒い影が見えましたがよく分かりません。しばらくして再び
「ゴソゴソ、シュッシュ」
今度は、丸っこいお尻と5cm位の立った耳が見えました。どうやら野ウサギのようです。
やや黒っぽい毛に覆われています。
野ウサギにとって、食料となり、身を隠すことのできる草木が生い茂っている我が家は、居心地がいいようです。
それからというもの、私が外に出るたびに出くわすようになりました。
そんなある日、操体施術にこられた女性を我が家にお通しする際、
「ウチでは、野ウサギを飼っているんですよ!」と冗談ぽく言うと、
「野ウサギ?飼ってる?」
都会からこられた方に、いきなり野ウサギの話をしても何のことだか分かる訳がありません。
「いや〜、その〜ウチは、庭の草木が高くて、多いでしょ。だからどうやら野ウサギが住んでるようなんです。」
と、野ウサギと私の関係を私なりの言葉で説明しました。
二人で庭を見ながら、
「ほら、ここに6株のオオシダが植わってるでしょ?このシダは、本来、杉林などの光が少ないところを好むんです。ただボクは、シダが好きなもんで、日の当たるこんなところに植えてしまったんですよ。だから、影のところのシダだけが元気いいでしょ?」
などとちょっと自慢げに説明していました。
すると、
「ゴソゴソ、シュッシュ」
小さな訪問者が様子を伺っています。ただ、彼女はまだ野ウサギの気配に気付いていないようです。
いつまでも庭を眺めていたい気持ちになってしまいそうです。しかし、そういう訳にもいきません。操体施術をすることにしました。
戸を開け放ち、そよ風が入ってくる空間で、動きの操法を通していると、
「ゴソゴソ、シュッシュ」
野ウサギも動きの操法。
そして、足底の渦状波(皮膚への操法)に移ろうとしたときでした。
「ゴソゴソ、シュッシュ」
大きく跳ね上がった様子が目に飛びこんできました。
「ありゃ?やってきましたよ、野ウサギ。」
操体法の最中に、私から話しかけるということはないのですが、よっぽど嬉しかったのでしょう、思わず声が出てしまいました。
またそればかりでなく、野ウサギに出会えたことで、
「ウチでは、野ウサギを飼っているんですよ!」という言葉の裏付けが出来たという喜びもあったようです。
そして、渦状波(皮膚へ問いかける操法)。
腰に違和感を覚えている彼女は、ゆったりした無意識の動き。30分以上は経過しました。その間ソケイ部が「ポキポキ」と鳴ること数回。
随分、腰周辺が緩みました。しばらくの休息を取り、起きあがって戴きました。
その瞬間、「ゴソゴソ、シュッシュ」
何と、野ウサギが彼女と同時に動き始めました。
渦状波の波動が野ウサギまで伝わったのでしょうか?
どうやら、操法の一部始終を身動きせず見入っていたようです。
その数日後のことです。便所の前に倒れていたアザミが無くなっていました。そして、それ以来野ウサギを見ることもなくなりました。
どうやらあの野ウサギ、アザミを手弁当に、隣りの山へ引っ越ししたようです。
おしまい
(ここで、話は終わるのですが、2年前にアメリカ・ケンタッキー州のバーンハイム森林公園に滞在したとき、我が家の庭とアメリカの庭とを比較したブログを書きました。少々堅苦しい文章ですが5ページ程掲載いたします。)
‘06 10月27日
芝
事務所に着くと、昨日から準備しているNASA関連の会議のため、賑わっている。バーンハイム関係者も参加できる。後ろの席に座り話を聞くことにした。
会場は、知的な緊張感に溢れている。また、現在の典型的なアメリカ人体型の人がいない。みんな、中肉中背か高背。
私が27年前にアメリカへ行ったときは、こういう体型の人が普通だった。そのため、昔にタイムスリップした感じである。
ここに来ている人々は私を除いて、全員、高額所得者。食生活をはじめとした自己管理はしっかりしているようである。
今回のテーマは、“地球温暖化。特に、北極圏(北半球)”内容は専門用語が多く聞き取りにくい。ただ、資料を大きなスクリーンに映し出し、コンピューターから様々な映像を映し出すため(NASAがやっているのだから!)大筋は分かる。
二酸化炭素のことを、green house gasというのは知らなかった。
green houseとは、温室のことで、温室効果の原因となる気体。特に二酸化炭素のことになる。
しかし、資料なしで、しかも外国人の英語になると付いていけない。まるで“スタンレーおじさん英語”のような人もいた。さっぱり分からない。
分からない英語を聞きながら、“この人は偉い。自分の考えを異国の言葉で堂々と述べている。オレも自分の仕事を英語でしっかり喋れるように勉強しよう!”と思った。
人の表情と状況を見ながらの会話は、カンさえ働けば大丈夫。分からなければ、聞き返せばよい。また、日常会話のパターンは大体決まっているのでいつの間にか喋っている。
英語の文章は辞書さえあれば、ほぼ読める。ただ、人前でしっかりとした英語を喋るには、勉強が必要。今回はこれを痛感した。こんなことは初めての経験で、それだけでも、意義がある。
また、インターネット発達のおかげで、情報に関してわざわざこの会議に出席する必要はないと感じた。ここに出席した人々の本当のねらいは、“直接のコミュニケーション”だと思う。やはり、“人”の勝負。いい勉強になった。
ただ気になることがある。この人達はりっぱな家に住んでいるのだろうと思う。芝の美しい広い庭の大きな家。そんな人が地球温暖化を説いても、説得力に欠ける。以前、日記にも書いたが、この芝があやしい。今回は芝に焦点を当ててみようと思う。
バーンハイム森林公園で自転車を走らせると、芝刈りの車とよく出会う。激しい音で、ガソリンをまき散らしている。
そんな時、美山の我が家を思う。今年は草引きを随分した。その時の、植物の種類の多さに驚き、豊かさを実感した。
多分100種類以上になると思う。梅雨明けからは草刈り機を使わなければ追っつけない。3回草刈りを行った。
その後、すぐにバーンハイム森林公園に来た為、芝の単調さが気になり、すぐに飽きてしまった。そればかりか、様々な弊害を感じるようになった。
芝の歴史を辿ってみると、中世ヨーロッパ、特にイギリスから始まる。イギリスは湿気が多く牧草としての芝は育ちやすい。
修道院やお城のこもった雰囲気の室内から逃れるため、中庭に植えられ始める。
1600年初頭に“英国芝”が生まれ、gentryという貴族のすぐ下の階級における地位の象徴になっていく。
1700年初頭までにイギリスやアイルランド全土に流行する。その後、芝が庭から野外へと移っていった。
しかし、植民地政策をとったヴィクトリア王朝(1819−1901年)になると、フランス、イタリアの影響を受け、庭の芝がテラス、彫刻などに変わっていく。
アメリカでは、1830年に芝刈り機が発明されるまでは、今日のように芝を維持することは難しかった。
資産家が時折、芝刈り人夫を雇い維持している程度であった。多くは、牧草地として、羊、馬、ウサギに食べさせていた。
ところが、南北戦争(1860−65年)以降になって、中産階級の人々の庭に芝が現れはじめる。
しかし、多くの人は、芝刈り人夫を雇うことが出来ず、芝を植えることは出来なかった。普通の人々は野菜を育て、雑草が生えていても気にしていなかった。
19世紀末になり、郊外から現在アメリカの様相を呈してくる。特に、スプリンクラー、芝刈り機の急速な改良により、風景をも変化させていった。
つまり、維持が大変なため、芝を植えることは金持ちの象徴であったが、機械技術の発達と共に、一般市民が芝を庭に植え始め、アメリカ全土に広がっていったのである。
NASAの発表によると、アメリカ全土の芝面積は、128,000平方キロメーター(これは、日本の面積の34パーセントになる)。そのため、芝の管理、維持および、建築、園芸などと相まって“芝”が一大産業になっている。
24,700,000戸の世帯に芝が植えられ、1世帯、年間1,200ドル(14万円程度)お金をつぎ込んでいる事になる。
1戸あたりの水道利用の50−70%は庭、特に芝に費やされている。
この芝に関しての批判が、Wikipedia, the free encyclopediaで書かれているので、列挙してみる。
1:多くの芝は1種類で植えられているため、植物の多様性を損っている。広大な敷地ではそれが顕著である。それに加え、本来なら地方にはないはずの芝が根付いていまい、その地方独特の多様性をなくしてしまう。
2:芝は、環境に害を与える殺虫剤やその他の化学物質を使用する場合がある。
3:緑の芝を維持するために、しばしば大量の水が必要となる。芝発祥の地、イギリスでは、十分な降水量があるため、緑の芝を維持するのに問題はない。
しかしながら、芝の文化、風習を受け入れた世界の乾燥地域、例えばアメリカの南西部のような、水資源の乏しい地域においては、行き過ぎた水の供給システムを要求するため、水資源の妨害となる。
4:芝は、寒い冬の期間は冬眠する。そして、乾燥した夏の期間は茶色に変色する。そのため、水の供給を減らす。ところが、多くの芝所有者は、“死んだ”ように見える状態を嫌い、夏の期間の水供給を一段と増やす。実際には、干ばつからでも十分回復できるのに。
5:アメリカでは、芝に覆われた丘では、ガソリンエンジンの芝刈り車を使う。これは、夏の期間郊外のスモッグを生み出す。アメリカ環境保護団体は1997年ある地域で、典型的な小さなエンジンの草刈り機がスモッグの5%を生み出すことを調査発見した。1997年以降は保護団体の命を受けスモッグを減らす排気ガス規制が行われた。
6:芝は穀物を生み出す広大な耕地を覆っている。
以上のようにイギリス貴族から生まれた芝文化が、アメリカの一般市民に普及し、日本全土の34%までを覆うこととなった。そしてその維持のために環境を破壊している。私が最も気にしているのは、その精神性。
美山の我が家の庭を考えてみる。春から秋にかけて一定の場所から、時期をずらしながら様々な植物が生えてくる。つまり地中には様々な種子、球根、株が共存し、それぞれが自分の出番を待っているのである。そして、種を蒔き枯れて土に帰る。これが自然の摂理であり、そのお陰で我々は生かされている。そこから、たくさんのことを学ぶことが出来る。
現在のアメリカに於いては庭に芝が無ければならない。そして芝以外は雑草。非常に単純で傲慢な発想である。全く人間の都合でしか土地を見ていない。
しかも表面的な見栄えのみ。勿論、芝の利点もある、道路の地固め、土埃の軽減、夏の気温上昇軽減。
しかし、自然界の複雑な営みを、排他的しかも単純にみることの精神的な影響の代償は大きい。
芝の庭で育った子供は、身近な庭で、地中の豊かな営みを体験できる機会を失う。
そればかりか、芝文化を持たない国に意味のない優越感を覚える可能性がある。なぜなら、芝文化はイギリス貴族の流れをもち、アメリカでも150年位前までは金持ちしか芝の庭を持てなかったからである。
現在、バーンハイムでは、この芝を少しずつ剥がし、元々アメリカ大陸にあったススキのような植物に植え代えている。全ての芝がこの植物に代わった時、再びバーンハイムを訪れてみたいものである。
佐伯惟弘
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