東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

言葉と思考

おはよう。少々眠いけど、また床にもぐるのも、勿体ない。
トホトホと原稿用紙抱え込み、モスバーガーへ直行。テラスに出てコーヒーで一服。
眠気が薄らぎ、頭の中でブログの内容をまとめる。あと2日間色々打ち込みたいことがある。何を素材にしようか・・・・。


まづ、横森。早速の便りありがとう。
ブログの中でもそうだけど、書いている内容が誰かの人生に触れてダブることが良くある(狙い撃ちはできないけれど)フォーラムで参加者に渡している色紙も、不思議と人を選んでヒットする。あれはホントに不思議だなァー


マァ、それはともかく、誰かの心に響くようなブログが広まってくれるといいね。私の手元に、皆んなが打ち込んだブログが送られて来る。いや、たまげたものだネ。一人一人が本当に豊かな個性の持ち主だな。一人一人の世界が愉快だ。言葉の思考の中で思い思いに真剣に取り組んでいる。言葉の思考って、一字一字文章にしていくと結構ハマっていくものだ。
書きぐせをつけていくと、より、思考が具体的に深まってくる。


指先を使うってことは思考の学習につながってくる。なぜなら1字1字違う言葉を書いている訳だ。違うってことは指先の使い方が1つ1つ、違うってこと。それは1つ1つのコトバに意味があって、一つの文章ができ上がってくる。これが言葉の思考をつくり上げていくこと。1つ1つのコトバの集合体が1つの文章をつくりあげているってことだね。1字1字が集合して思考を形成していく。それが積み重ねられて1つの作品になる。言葉は生きもの、自分の思考という生命(力)をコトバにするから言葉にも、力があるってことになる。


私はブログを打つことはしないので、書く、としか言いようがないけど、打つのと書くことの違いは、指先の使い方が違うってことかな。ブログは打つことによって、言葉が活字になる。
書くとは1字1字指先を使って表現しなければ1つのコトバにならない。そのために指先の使い方と動きがちがう。


この指先の使い方と動きが違うから、書くことによって頭脳を学習させる。脳の学習とは、思考である。思考という学習を脳に繰り返し反復させている。


今、書き上げている新刊書ネ、300枚程度の量だけど一字一字の字数にするとおおそ12万字になる。12万字の1つ1つの言葉が集合し、200ページほどの本に仕上がる。
1字1字、目的に向かって意味を含ませていく。思考という原始感覚を磨いていくために、原始的な作業が必要なんですね。それは打ってでてくるコトバじゃなくて、書いて表現されるコトバじゃないのかな。


今こんな内容でブログを書いているけれど、たかが原稿用紙にすれば、3,4枚かな。その程度の原稿にまとめ上げていくのにかなりの時間を要する。思考しながら書き一つの作品にする・・・。
思考しながら作品にするってことは本当に面倒臭いけど、面倒臭がらずに書き続けていくこと。


読むのはカンタン、かくのは大変だけど、たどりついた作品を、ただ目を通しただけなのか、思考しながら読んでくれたのかは、読者に問われることだが。


私は少々いじわるな文章を書く。たヾ目をとおしただけではわからない、ちょっと思考しながら目を通さないと理解できないこととか、やってみなきゃわからないことも、言葉の力をかりて表現しようとしているから。4日目のブログもよーく考えながら読まんと、私の言っている意味は???ですよ。
「わからないってことが臨床」のところね。再度読み返し、反復しないと・・・。


かなりナゾかけが仕掛けてあります。山野、草階、中谷、この文章の意味、理解できるネ。秋穂、お前はどうだ。日下、どうとらえる。次回の勉強会のテーマにしてもいいか。
云っている意味が少しでもわかるように。



三浦寛


注)出てくる固有名詞は東京操体フォーラム実行委員です



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