初めましての方、こんにちは。
また来て下さった方、ありがとうございます。
先月の事になるのですが、久々に図書館に出掛けました。
いや、本は好きなんですよ、実は。
思えば、今の場所に住むのに、この図書館はポイント高かったのです。
またちゃんと通えるようにせねば、と思います。新年だし。
ということで、本日は一冊紹介します。
タイトルは「禅と脳」。
以前何冊か借りたうちの一冊で、その時は期限のため読まないまま返したのですが、やはり気になってまた借りてみました。
禅の生活が脳に与える影響についてセロトニンを主なキーワードに対談されているのですが、それはともかく、操体を学ぶ人間にとってはなるほどと思う発言が随所にあります。
少し引用してみます。
風流
私という存在は、「揺らぐ存在」なんだ
瞑想
言語機能は休ませながら、空間認識を司る機能、これは盛んに使うんです。
中心点と輪郭の線に均等に意識を分散するんです。
揺るがせにする。集中と拡散が同時に。
縁が自由に波立っているから、中心点は静かでいられるという、それが仏教でいう「不動心」というものなんですね。
中心がぶれないから自由に動けるということなんです。動くからこそ軸が静かだというのが「不動」ということですね。
歩行瞑想ですとか、あるいは体を動かしながらの瞑想とかがあるわけです。中略。私が動かそうと思っているわけじゃないんです。中略。体の内部感覚をできるだけ精緻に感じようとしているわけです。ただし言語化しない。
体がそれを要求しているんですから、体のいうことを聞けばいいんですよ。
憶う・思う・想う・懐う
瞑想中やっていいのは、「感じる」ことと「味わう」ことなんです。「思う・考える」ということはしてはいけない。その対象が自分の体の動きだったり、呼吸そのものだったりということなんですね。
禅というのは「回帰する」という考え方が非常に強いんですよ。
弱くて柔らかいということが最終的に強いということなんだという考え方があります。
思考というのは、今ここから過去に遡るわけですよ。「思う・考える」ということは、材料は常に過去なんですよ。「感じる・味わう」ということは「今ここにいる」ことですよね。そこにはじつは時間がないんですよ。
「空」というのは、「生命が流動そのものである」という認識なんですよ。過去のものでも、未来であっても、思考の対象にする限りは「色」なんです。「色」にとらわれるというのは、要するに脳の言語機能が働いているんでしょう。
いうことを聞く言葉と、聞かない言葉があるんです。私たちの聞き易い言葉というのは別なんです。
お経をインドの言葉で読むと明らかなんですけど、現在完了形なんです。自分の声が自分の脳に与える影響というのは、すごいものがあると思います。
ちょっと多かったかな。
個人的に気になったのは「今ここ」の部分です。
去年のVisionSでも少し触れたのですが大事にしたい言葉です。
興味があれば読んでみて下さい。
来週は群馬から友松さんです。
余談ですが、今日の高校サッカー準決勝は鹿児島VS群馬です。
辻知喜
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