東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

伝承芸

クラシック音楽の世界では20世紀中頃から「作曲家の創作意図を尊重し、演奏家はそれを聴き手に伝える使徒であるべきだ。」という演奏哲学が提唱され、楽譜に忠実な演奏が求められる様になった。
正否の問題は、この際ちょっと横に置いておいて、「作曲家の創作意図を尊重する」とはどういうことなのだろうか?このことについて少し考えてみたい。
私の好きなピアニストにホルへ・ボレット(故人)という人がいる。リストの直系の孫弟子にあたり、19世紀ロマン派のピアノ・ビルトゥオージティー(virtuosity)を継承している名人である。
ここで彼の言葉を引用することをお許し願いたい。なぜなら、芸道一般に普遍的に通じる真理であると思われるからである。
『私はおそらくリスト自身より、リストの曲を何度も繰り返して弾いている。リストは一体、一生に何回自分の曲を弾いただろうか・・・・・私のように繰り返して弾いていれば、リスト以上にリストのことが判るよ。そうすると、「ああ、この部分は、彼はオクターヴの中に和音を入れるところだが、急いでいたので、そのままにして、忘れて出版したな」ということまで見えてくる。そういうところは、和音を補って弾いてやる。それが作曲家の意図だということが判るからね・・・・・。』(「譜面に手を加えず、ありのままに弾く」ことを正統とする批評家からの非難に反論して)
伝承芸、或いは、再現芸術において、祖師の「言葉」や「型」は骨子として大事だが、それに比して同等に大切な事は、演者の個性と時代性である。


「温故知新」は、一般に
1「故きを温(たず 尋)ねて、新きを知る」と読まれるが、
2「故きを温(なら 習)いて、新きを知る」とも読める。
1は、古いもの(古典)を学んで、その中に普遍の真理を発見する、という意味になる。
2は、古いもの(先達の考え)を学んで、新しいもの(現代を生きる自分)に生かす、ということである。


俳人 松尾芭蕉は、こう言い遺している。
「師の跡を追うのではなく、師の目指したるところを為せ」と。


翻って、操体の世界において、
お前は、「橋本敬三以上に操体に取り組んでいるか?」と問われれば、「ゴメンナサイ」と言うしかない。しかし、「橋本先生、私はあなたに負けないくらい操体を愛し、大切に取り扱わさせて頂いております。」とお答えすることは出来る。



山野真二



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